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地元の学区は、なぜか業界人が多い。
こんにちは、スキャット後藤です。フリーランスで作曲家やってます。
僕は、学校の音楽の授業以外全く音楽教育を受けてなく、理論書などもほとんど読むことなく、作曲の仕事をしてます。ひたすら好きな音楽を聞いて、ひらすら音楽を作って...といった結果、今があります。確かにピアノを習ったり、音大を出たり、どこかでレッスン受けたりはしてないですが、今まで出会った人たちといろんな会話するうちに身についたことは沢山あります。
プロで音楽を作っている人の家庭環境だったり、まわりにどういう人がいたかというのは、いつも興味深く思ってるのですが、うちの父親は音楽が好き(主に演歌)だったので、その点は影響は大きいのかな?と思います。あとは学生時代にどういう人たちがまわりにいたとか。
今回は、僕を取り巻く地元の環境の話を書きたいと思います。これは、まだインターネットが一般的になる、かなり前の話です。(歳を感じる、、、)
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僕が生れ育ったのは、京都の下京区。水族館や京都鉄道博物館、京都音楽博覧会で有名な梅小路公園の近くです。今でこそ、梅小路は賑わってますが、僕が京都にいたころは機関車館しかなかったので、そんなに人はいませんでした。僕の実家は、この梅小路から西に徒歩10分ちょいくらい。京都駅から車で10分くらいですが、目的がないと人が来ないような場所でした。(梅小路が賑わってる今でも、うちの実家のまわりは近所の人以外いないけど)
商店街はあったけども、そんなに賑わってるわけでもなく、、、うちは文房具屋でしたが、三つの小学校から一番遠い場所にありました。まわりは会社が多く、実家の文房具屋は店頭で稼ぐというよりは会社に事務機器をおさめるというのがメインだったようです。音楽的文化は皆無の場所でした。まわりに救急病院が多く、交通量が激しい七条通りに面してたこともあり、ずっと救急車のサイレンが鳴ってるような場所でした。(便利な場所ではある)
さて、今日はそんな地元の不思議な話を書きます。なぜか、業界関係にいる人が多いのです。範囲や世代を広めると一気に有名芸能人が増えますけども、それは面白くないので、狭い範囲での話を書きます。僕の世代から上下6年くらい。学区も公立高校の範囲。むっちゃ狭いです。
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