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空想の箱庭をきらびやかに飾る

 ある年号を聞いたときにそれを 「昔」と感じるか、それとも 「最近」と感じるか、どこに境界があって、それが年齢とともにどのように推移していくのだろう。私は幼いころ、自分が産まれてきた年(2000 年)自体がめちゃくちゃ最近、という認識がずっとあって、1990 年代を全部 「最近」の括りに入れていたように思う。この認識のまま何年も過ごした結果、私の場合は境界が1990 年に固定されてしまって、産まれてもいないのに 90 年代という概念に親しみやすさを抱いているのではないだろうか。『月華世紀末狂騒曲』はたぶん、そんなふわっとしたところを原点としている。 要するに、自分の頭の中に蓄積した嘘の体験と、本や新聞等から得た知識とを組み上げて作ったテーマパークのような空間が、私にとっての1990 年代なんだと思う。
 なお、これは行きつけの呑み屋で聞いた話だが、実際の1990 年代の駒場は、駒場寮を起点として池ノ上方面に雀荘、古着屋、定食屋などが密集しており、寮が取り壊される直前などはかなり治安が悪かったという。 あんまり想像はつかないけれど、今とは全くの別世界が広がっていたのだろう。

華に関する雑文として

月と花を並列して「月華」と言う一方で、この単語には「月の光」という意味もある。「華」という字が月の放つきらびやかな光のイメージと重なった、とても美しい言葉だ。「花」ではどうしてもその輝きが連想されない。やはりここは「華」でなくてはならない。
 「華」の輝きは、「キラキラ」ではなくて「ギラギラ」だ。丸の内の輝きではなく、歌舞伎町の輝きが「華」だと思う。今、この一瞬のためだけにフィラメントを焼き切る覚悟をもった光こそ、 「華」と呼ぶにふさわしい。そう考えると実際の月の光はなんだか弱々しい気もするけれど、その光を華として描ききってみせる格好良さが物語の華になると信じている。

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