ジェンダー教育に救われた男!?
私は「男らしくない男」です。
運動音痴で虫が苦手、絶叫マシンにも乗れません。社内ゴルフコンペを無くした本部長とテーマパークに行きたがらない妻には未だに足を向けて眠れない。
そんな奴がどうしていわゆるアンチフェミ活動に興味を持ったのか、自分の立ち位置を確認するためにも書いてみます。
幼少の頃より外遊びに関心を示さず、ピアノを弾いたりゲームをしたり読書する事が多かった私は、小学校に上がってある壁にぶち当たります。
そう、「小学生男子カースト」です。小学生男子の世界ではスポーツができる者、腕っぷしが強い者がクラスの中心になります。運動音痴でヒョロガリの私にはカースト下層の生活が待っていた。
小学生にとって体育の授業は死活問題です。かけっこの順位や鉄棒、体操の出来に一喜一憂。それはいいのですが、問題は運動会や球技といった団体競技です。
チームが負けるとやれあいつが足を引っ張った、勝ってもこいつはいらん等とつるし上げが始まります。当然私はつるし上げの常連で、いつも体育の時間は怯えながら過ごし、恐怖で余計にミスをするスパイラルに陥りました。
彼らはよくわかっていて、つるし上げは必ず体育直後の休み時間、すなわち女子がいない着替えの時間に行われます。女子の前で陰湿なことをするとカッコ悪いし、最悪チクられるかもという心配があったのでしょう。それもあって誰にも知られずコンプレックスを募らせていきました。
またピアノを習っていると知った同級生達に「そんな女みたいなことしてる暇あったら運動しろ」と言われ好きな事にさえ自信を持てなくなった。
いっそ女の子に生まれればよかったのに、そう思っていた時期にたまたまジェンダー教育に出会いました。出典が見つからなかったのでうろ覚えですが、このような内容でした。
今まで私が感じていた「男らしさ」への違和感に確信を与えてくれました。同時に女性にも「女らしさ」というバイアスがあることを知りました。
今思えばこれが界隈の扉を叩く最初のきっかけになったのかなと思います。
そして中学時代、ひょんなことから音楽祭に学年代表でピアノを担当することになりました。
それからというもの、クラス問わず練習には引っ張りだこ、忙しい日々が始まりました。なかなかついていけない人たちの練習に付き合って夜までひたすら伴奏もしました。けど「俺は頼られているんだ」という実感が嬉しくて、疲れも気にせず走り抜けました。
すると私を馬鹿にしていた人々も手のひら返しで接してくるようになりました。周囲の評価なんていい加減なものだなあと苦笑したものです。
「男のくせに」と言われてもピアノを続けてよかった。遠い日の少年は一つ成長しました。
たとえ世間的に「男らしくない」「女らしくない」事をしていても、努力していれば必ず誰かは見ているし、成果を出せば評価してくれます。このような健全な肯定感をもたらすのがフェミニズムではないでしょうか。
しかし、Twitterにいる多くの「フェミニスト」達は、男性に対し肯定感どころか性犯罪者予備軍などと原罪を背負わせ、同じ女性に対しても劣等感を植え付けるような言動を繰り返しています。
そんな今のフェミニストの活動は間違ってると感じるし、ジェンダー教育に救われた男としては看過できません。