高校生の自分に負けたくないからピアノをやりたくなかったのに
3歳から18歳までピアノを習っていた。
田舎ではあったが、優秀な先生を週3で島へ呼び(私のレッスンだけでなく、島で他の生徒を集めて、うちのピアノでレッスンをして良いというシステムで)、真剣に音大へ行きたいとまで思うくらいにまでは、ピアノをやっていた。
高校生になると、田舎ではあっても県立高校だったので、音楽専科の先生は国立音大を出てたりする。
私の高校に吹奏楽部はないが、唯一音楽系でコーラス部だけがあった。
私はどうしてもピアノがやりたくて、歌に興味がなかったのだが、音楽の教師はやはり私に目を付けて、コーラス部に勧誘してきた。
私は偉そうにピアノ伴奏なら行っても良いと返事をし、コーラス部の伴奏に行っていた。
コーラス部がコンクールに出るときには、私も学校公休で一緒に行けることも目論んで。
しかしながら授業で歌うので音楽教師は私の歌を知っている。
あなたは歌で(コーラス部に)入ってほしいのだけど、というのを断っていたら、敵もさるもの今度は「ソロで歌ってみないか」というのである。
しかも、県のコンクールに出ろというのだ。わー、公休だ公休だってことで、歌でコンクールに出たら銀賞を獲ってしまった。
という訳で、今はお金をいただいて歌っている片鱗がここにあったのである。
話が大きく逸れてしまった。ピアノの話だよ。
そう、それほどまでに高校生までの私は歌ではなくピアノにこだわっていたのだ。歌は大好きだが、ピアノで生きていきたいと思っていた。
ところが高校生にもなれば、いくら田舎の島育ちとはいえ自分のピアノの実力がどれほどのものかわかってくる。
インターネットがなくったって、世界は広くて自分程度にピアノが弾ける者など珍しくもなんともないことくらい、わかるものなのだ。
そんな訳で音大受験は早々に取りやめた。音大行ったところで、音楽の先生かピアノの先生にしかなれないなら、楽しみで弾くだけでいいやと言い訳をして。
今思えば「なぜ?」と思うことが多々あるティーンエイジャーの思考回路。
あの頃はかわいかったなぁ。
私が音大に行きたいと言えば、周囲からはそんなんじゃ無理だとヤーヤー言われたもんだが、今なら確かにあんたたちは正しかったよとわかる。
さてさて、そんなへなちょこな実力ではあったが、ショパンの幻想即興曲は弾いていた。
当時の私の実力からすると難易度高めであったが、音大目指そうかなと勘違いするくらいにはちゃんとやってたんである。
結局は音楽と同じくらい得意だった国語を活かし、大学では国文科に進んだ。島育ちなんで当然島に大学はない。
っていうか、島を出たいがために大学へ行きたかった。大学進学のために、今も住んでいる地方都市へ出てきた。大学は都心部からずいぶん離れてはいたが、電車で20分もあれば行ける。
晴れて私にとっては都会での一人暮らしが始まった。ところがである。
当然ながらピアノは持って来られない。持ってきたところで一人暮らしのアパートには入らない。
電子ピアノとか買う余裕もないので、ピアノのない生活を余儀なくされた。
日頃やらないことはあっという間に下手くそになる。3歳から毎日弾いていたピアノも、数年経てば「エリーゼのためになら弾ける」程度に成り下がった。
たまにピアノを弾けば指が動かずに思うように弾けない。これを取り戻すためには相当な練習が必要なことは、やっていたからこそわかる。
何より、
「高校生の自分に負けている」
という気分になるのが途轍もなく嫌だった。
そんな訳でピアノから遠ざかっていたが、子どもが生まれたときに電子ピアノを買った。電子ピアノだけどちゃんと88鍵揃ったクラビノーバだ。
子どもたちには自然に音楽が近くにある環境にしたかった。結局、私がピアノ弾けるというのが徒となり、子どもたちはピアノを習いに行かなかった。「ママに教えてもらえばいい」と、お稽古に行くくらいなら遊びたい派だった。
まぁ、いいや。ピアノのある生活になったので、たまーにはピアノを弾くようになった。ただしまったく指が動かない。今さらテクニックとかやりたくないし、現時点で弾ける曲だけ弾いて遊んでいた。
このまま息子もピアノはやんないのかなーと思っていたら、小学校卒業間際のタイミングでコロナというパンデミックが起こった。小学校卒業から中学校入学までの間、約3カ月間の引きこもり生活。
あんまり大きな声では言えないが、うちは3人ともお家大好き人間なので、全然辛くなかった。煩わしいこともなく、毎日が楽しかった。
その引きこもり生活中、何を思ったか息子が「エリーゼのためにが弾けるようになりたい」と言い出した。
おー、やっとピアノに興味持ったか。しかし楽譜読めないヤツにどうやって教えるか。息子はカンが良く、教えたらすぐにできるようになるタイプ。ただそれで安心してそれ以後の努力もしない。
ピアノはまず私が弾いてみせて、メロディを覚えさせる。覚えたメロディを右手だけ弾く。右手で弾けるようになったら、その部分の左手を教える。弾けるようになったら右手と合わせてみる。
この繰り返しで少しずつフレーズを増やしていった。そしたら1年くらいでエリーゼのためにを通しで弾けるようになった。すごい、エリーゼのためにだけなら私より上手いかもと思った。
コロナ明けて晴れて中学校へ進学し、コロナ中だったためほとんどのイベントがなくあっという間に3年生になった。3年次の担任が音楽の先生だった。
ある日音楽室で息子がエリーゼのためにを弾いていたらしい。それを聞いた先生が「合唱コンクールで伴奏をしないか?」と打診してきた。
私にも先生から直接電話がかかってきて、そう言うので「え、彼はピアノ習ったことないですよ?楽譜も読めませんよ?私が教えはしますが、それでもいいですか?」と聞いたところ、それで良いとおっしゃる。
課題曲の楽譜をもらい、まずは私が練習した。そしてエリーゼのためにを教えたときの手法で息子に教えた。
本番でもしっかり伴奏を務め、中学校最大の「私の」思い出となった。
ピアノを習っていないヤツが合唱コンでピアノ伴奏するなんて、多くの人に勇気を与えたことと思う。毎日がんばって弾いてたよね。
その息子も今は高校2年生。こないだ久しぶりにピアノ弾いたと思ったら、いろいろスッカリきれいサッパリ忘れてた。楽譜読めないから思い出せるわけもなく。やっぱり基礎がないとねー。
そして今。
特に何がきっかけという訳でもなく、ピアノを弾こうかという気持ちになっている。たまにちょろっと弾いてみるとかじゃなく、この曲を弾けるようになろうと思って練習してみようと思っている。
そうなんだよな。高校生の自分に負けたっていいじゃないか。そもそも勝ち負けじゃないし。
逆に言えば、あの頃弾けたんだからきっと弾けるさ。そのくらいの気持ちで。あんまり指が動かないんで悔しかったりもするだろう。でも、やらないよりやったがいいよね。
指を動かすのは頭の回転にも良いそうだし。
幻想即興曲は最終的に目指したいが、いきなりではあまりにハードルが高すぎる。あまりに高い目標は嫌になる原因でもあるので、少しハードルを下げて中学生のときに発表会で弾いたベートーベンの「悲愴ソナター第3楽章」にしよう。
そう思って楽譜を購入。Amazonから届いたので早速弾いてみた。めっちゃ忘れてるやん。なので、まずは片手ずつ音を取りながらゆっくり。左手もゆっくり。そして両手で合わせる。Aメロ部分は1日でまぁまぁ弾けるようになったかな。これ、毎日やれば通しで弾けるようになりそう。
練習終わってYouTubeで同じ曲を聴いてみた。なんだこれ、結構難しいじゃないか。よく弾けたな、中学生の私。いや、練習したんやろな。練習せな弾けんよね。
あれ、昔の自分に負けてるなんて気持ちはなくて、昔の自分、がんばってたんやね、になってる。
年齢を重ねるって面白いね。