マシンの考察、『孤独が蝕む病』あとがきとか。
朝、目が覚めて、突然孤独をテーマに物語を書こうと思いついて、真っ先にnoteに書き綴るという、かなりヤバイ(最高な)休日を過ごしました。
『孤独が蝕む病』でも表現されていた、まるで機械のような人間と聞いてどう思うでしょうか。感情がない、毎日同じことの繰り返しという比喩だったわけですが、とある界隈の人たちにとっては、機械のような応対こそが心地よいと感じることがあるようです。そう、例えば自分の考えの通りに機械を動かす仕事をしているようなプログラマとか、多くの人材を部下に持つマネージャーとか。
仕事を進める上で生じる人間の感情というものは、時として邪魔になることがあるようです。すべての人間が計画通りに着実にことを運ぶことができるなら、誰も失敗しないのでしょう。
ただ、そのような人に成長などあるか?と聞かれるとどうでしょうか。そう、機械は予め設定された以上のことはできない(※)。最初から機能の限界を定められている。その点、人間には伸び代がある。確かに失敗はするけれど、成長し、進化することができる。それは、悔しいとか、情けないとか、あの子を振り向かせたいとか、そういった感情があるからではないでしょうか。
※とはいえ、最近はプログラムも徐々にアップデートされることで改善していくので、人間らしくなっているかもしれない......(人間の手によって改善されるから当たり前だった)。
IT技術が進み、コロナ禍において、人はますます対面することなくデジタルの世界で意思疎通を図るようになりました。はたして、ディスプレイに映し出される0と1の世界の中に、人間が発進した感情を受信することができるかどうか。そこに、これからの未来の行末がかかっている様な気がするのです。
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