ターン・アラウンド
たくさん話したいことがあるけれど、その中で自分自身が何を文章に落とし込みたいかがわからなくて困っている。その場で考えたことや感じたことはあくまで一面的なものであって、後々見返すと全然違ったなと思うこともある。
今書いてるものだってそうだ。来週の今頃、お酒を飲んで陽気になっているところでこの文章を読んでも、なんだこれってなって終わるだけだろう。
私は、生きている中で自分が流されやすい人間だということがわかってしまったので、少なくとも文章に乗せる形のコミュニケーションでは一貫した考え方、姿勢でいようとしている。
要は矛盾したくないのだ。
この心がけのお陰か、周りの人から軽薄で芯のない人間だとは思われていない(はず、な)のだが、これをやると自分が考えていることを思った通りに他人に伝えられない、と言ったような問題が発生する。
ここで最初の発言に戻る。自分が文章で何を書きたいかわからなくなることが多い。日々生きて行く中で思うことはたくさんあっても、いわゆる世間体を気にしていることで発言しなくなっている。矛盾が怖いというのも、もちろん私自身の中で一貫性の無さに凹むというのもあるが、それ以上に世間体からの矛盾を指差す視線が怖いのだと考えている。
これは内面的な自由さと外面的な安全さのトレードオフの関係にあるんだろう。たまたま私が外面的な安全さを気にしているタイプなだけであって、その時思ったことを正直に発言できるタイプの人は数多くいると思う。そういう人が間違っているとは思わない。見方によってはむしろそちらの方が誠意があるだろうから。
私は、私自身の中で一貫した発言をしようと心がけている。その心がけを以てしても矛盾は起こるし、こんなことを考えているとがんじがらめになってnoteから何ヶ月も離れる羽目ににってしまう。結局何も考えてないで話したり書いたりする方が楽ではあるのだ。そして、私はそういう人になれないよね、というだけの話だ。
最近、考えごとをすることが多くなった。以前に比べて(些細なことではあるが)責任を持ってやらなければならないことが増えたために、初めて会うような人に真面目な文章を書かなければならない場面が出てきた。これは、今まで生きてきた中で相当避けてきたことだ。得体の知れない相手とやりとりするのは昔から苦手だった。
私は、文章を書くときはじっと考え込む。この文章もそうだが、気の置けない友人以外に送るメッセージや文章は基本熟考してしたためる。誠意と言うよりは嫌われたくなくてやっている。考えごとをすることが多いと言ったが、半分くらいはこれだ。作業そのものよりそれをどう指示するかとかどう連絡するかみたいなことに時間を使っている感じがする。
もう半分は不安だ。私は必死に足をばたつかせているようで何もしていないんじゃないか、とか考えてしまう。だから何かしらやろうと思って安請け合いをしたりする。結果後悔する。でもやる。そういう日々だ。
昨日、応用情報技術者試験を受験した。合計5時間の長丁場であったが、なんとか乗り切った。午前はおそらく大丈夫。なんなら結構良かった。問題は午後。もうちょっと詳しく話したいので明日以降に続きを書こうかなと思う。
今日は珍しくタイトルから思いついた。
最近くるりはあまり聴けていない。もう少し元気になったら聴くと思う。
追記:このnoteを投稿してから過去の投稿を見てると、敬体から文体に変わっていることに気づいた。早速文字書きで矛盾を生み出してしまった。でも、今日の内容だとこっちの方が良さそうですよね。たぶん。