煮るなり焼くなり。
人間性の消費、例えば学生、アイドル。
期限付きの限定品は価値が高くて儚いものとされ、
夢の世界に存在しているものだと思われ、
対人間ではない、
可笑しな扱いを受けることがあって。
働く人は金銭の対価として彼らの時間と労力を提供しているわけで、
ある意味金銭が働く人を消費していて。
家族に消費されてしまった人間の時間や願いや夢もあって。
人間は目に見えないがあるとされる存在に消費されることもあるし、
地球に消費されている存在とも言える。
基本的に消費とは相互関係が成り立たず、優劣があり、大抵人間が消費される側だ。
対価は、あったり、なかったり。
だから対価の有無はそこまで重要では無いと思う。しかし、
その行為をどう見て、どう捉えるのかには意味があると思う。
日々目にする何か、行動する何かは消費である。
それらを美しいと思って過ごせるのか。
それは別視点からの新たな消費とも言えるかもしれないが
私は消費すること、されることを否定的に思ってはいない。
美しいと思うこと、思われることはどんな対価とも釣り合わないほどの価値があるからだ。
美しさを恐れる人はいるかもしれないが、それは美しい自分に近寄る人間が恐いのであって美しさそのものではないと思う。
美しさとは唯一、全ての人間が欲し、憧れ、妬む対象だ。
消費という行為から美しいと思う心が生まれ、その心が感情を豊かにする。
だから私は何かを作る時、自身を消費するようにしている。
つまり、消費とは、あなたの為にあるものではない。