#1 対岸の彼ら
今日は、BBのp.81 9行目からp.83 8行目までを学びました。
特に印象的だったのは、ミーティング後の雑談タイムで、ある仲間が「12ステップは『得ようとする』プログラムではなく、『捨てる』プログラムなんだ」といった言葉です。
その言葉を聞いた瞬間、思わず口をポカンと開けて、天を仰ぎました。
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僕はいつも知識を得ようとしたり、それをひけらかそうとする傾向があります。
このnoteも、ミーティングも、スポンサーシップも、時にはそうした衝動が入り混じっているのかもしれません。恥ずかしいけど。
服やゴミなら簡単に処分できる。
処分すれば、新しい服をハンガーにかけたり、新しいものを置いたりできる。
理屈は理解できているのに、心の中の障害物を捨て去って、神のアイデアが流れ込んでくることに対しては、なぜか素直に受け入れられない自分がいます。
結局のところ、僕はまだ理性にだけ頼りきっていて、本当に必要な最後の一歩を踏み出せていないのかもしれません。
フランス南部のアヴィニョン橋(サン・ベネゼ橋)が途切れているように、僕たちの「理性の橋」も確かに目の前で途切れている。
その先には、物質的な橋が見当たらない。
しかし、対岸に渡った人たちがいる。
「神を信じて踏み出すんだ」、「僕たちはこちら側にこれたのが何よりの証拠じゃないか」と彼らは言う。
それでもなかなか踏み出す勇気がない僕たちのために、彼らはスタディミーティングを開いたり、ブログを書いたり、図版を作ったりして、なんとか僕たちに、透明な橋の上を渡れるのだと説明してくれている。
それでも、踏み出せない僕たち。
彼らはホトホト疲れているのではないだろうか。申し訳ない気持ちになる。
それでも、彼らはやめない。
彼ら自身の回復のために。
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「ぼくの知っている信心深い人が、みんな間違っているなどということが、はたしてあるのだろうか」