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久しぶりの『諸相』スタディ
※2025年2月5日発行の「スタディ通信:2025年2月号」にて、本記事への指摘があったため、記事の一部を修正いたしました。
ご指摘いただき、ありがとうございます。
「馬鹿」や「⚪︎ね」とか、そういう言葉があれほど飛び交う一方的に「投げつけられる」ミーティングを僕は知らない。
・・・
ここ数年の僕は、自分に都合のいい、耳当たりの良いミーティングを作り、いわゆる「仲間たち」と馴れ合ってきた。
「12ステップを実践し、霊的に目覚めた」と言いながら、「こんなにも素晴らしい人生が手に入りました。だからこんなにも余裕があって笑顔で、そして誰も批判せずに幸せに生きています」——そんな自分を演じてきた。
思えば、僕が4年前に『諸相』スタディを離れたのは、率直に言って「耳障り」だったからだ。
あれから数年間、僕は「耳当たりの良いミーティング」作りに夢中になったが、それがいかに無価値で惨めな試みであったかは、結果を見れば明らかだった。
僕は、神から与えられた使命を、聞かなかったことにしようとした。耳を塞いだ。
そして、耳当たりの良いミーティングに通うことで、自分を納得させようとしてきた。
だって、神が僕に与えた役割は、とても実行できそうもない重荷に思えたから。
避け続けた役割
昨年の10月から、BBSGに再び通い始めた。
心のどこかで、限界を感じていた。
でも、『諸相』だけは避けた。
そこに行けば、真実を突き付けられると分かっていたから、怖かった。
おそらく彼らは僕がどれだけnoteを書き、真面目に語ろうとも、きっと僕の正体を瞬時に見抜いただろう。
それは言葉ではなく、結果が証明している。
・・・
ここ数ヶ月ずっと悩んできた。
頭が割れそうなくらい祈ってきた。
自分のために。
だけど、今日の『諸相』でようやく覚悟が決まった。
僕は「耳当たりの良いミーティンググループ」を閉じて、新たなグループを立ち上げなければならない。
神から与えられた役割は、果たさなくてはならない。
「仲間」「繋がり」「今日一日」とか、そんな善意の言葉が飛び交う「言いっぱなし聞きっぱなし」のミーティングが、いかに地獄へと舗装された道なのか、ようやく分かった。(もちろん、誰もがその道を一度は歩いたことがある)
「分かった気になって終わる」のが、僕の悪い癖なので、まとまらない文章でも忘れないうちに書き残しておきました。
・・・
「ゆうきさん、怖いのはよく分かるけど、もうそろそろ『諸相』に出てもいいんじゃない?」
優しくそう促してくれたAAメンバーには、心から感謝しています。
ありがとうございました。
ゆうき