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ミクロコスモスという遺伝子

ボクの40代はある意味でミクロコスモスの飯坂拓也とのモノづくりの時間だった。

通称いーはんくん。

彼とは東京・神楽坂のかもめブックスの2階の喧騒の事務所で初めて出会った。よくIKEAの青い大きなバッグを持っていて「無限です!」「ガラ空きです!」が口癖の少年がそのまま大きくなったような、大工なのかデザイナーなのか作家なのかよくわからない、おもろければ何でもやってくれる稀有な存在。

出会ってからの最初の数年は鷗来堂の書店づくりで一緒に奔走した。ボクの自宅のリノベもやってもらったし、おいかぜ事務所のリノベ、ワワワの什器やプロダクトもつくってもらった。

それぞれの仕事に思い出はある。とても濃い思い出。そしてどの仕事もいーはんくんとしか続けていけない、そんな強度がある仕事ばかりだった。まだまだ一緒にやっていきたいことがたくさんあった。まだまだ話したいことがいっぱいあった。

そんな彼との最後の仕事はMIX BIKE初号機の制作だった。仮納品の夜の次の日に事故の連絡を受けた。

いまMIX BIKEの次号機をつくっている。次号機をつくっているとわかる。彼は狂気と才能に満ち溢れていた。よくこんなものを実現させたなと。アイデアと勢いだけではこんなものは作れない。きっと「これつくったらおもろい」という遺伝子。彼のモノづくりの態度にはいつも執念のような遺伝子を感じていた。

今月末にそのミクロコスモスの事務所が無くなる。

先日うちのワワワでつくりかけのプロダクトを引き取りに行った。彼が居た場所が無くなるのは寂しいけれどミクロコスモスの遺伝子は世の中におもろいのインパクトを残し続けていることを彼に伝えたいと思った。

その遺伝子はたぶんボクにも根付いている。彼がつくった空間で暮らし、彼がつくった空間で働いている。「いーはんくんやったらどうやるかなぁ」とよく考える。いろいろな事情で諦めそうになっても、あいつだったらやり遂げるかもしれない、その感覚がボクにとって新しく身についた。

「伝説になりやがって」

相棒だったちゅーたくんがボクに向かって放った言葉には愛が満ち溢れていた。ほんとだ。あいつ伝説になりやがって。

この気持ちが少しづつ変わっていくことを知るくらいには歳を重ねた。でも彼の遺伝子を大切に育みたい、自分がこれから関わる仕事でその遺伝子を伝えていきたいと思えるくらいにも歳を重ねた。

独立して活躍目覚ましい元相棒のちゅーたくんはもちろん、SEW STAYを一緒につくったBrain Sauce Studioのしゅえいくん、POWER OF VIEWの坂東くん、MIX BIKEの次号機を手掛けてくれているひるちゃん、前田文化の前田さん、加藤さん、たぶんボクが知らないだけで他にも彼の遺伝子を引き継ぐ人たちがたくさんいる。

この文章はセンチメンタルに聞こえるかもしれないけれどボクは明日や未来について語っているつもりだ。

ボクたちはミクロコスモスを忘れない。

そして彼の遺伝子を次の何かに伝えていきたい、彼の遺伝子を伝えるおいかぜになりたい。

彼が2023年7月20日に現場の事故が原因でこの世を去ってから、彼の話を文章にしようと思っていたけれど、ずっとできないでいた。書くって一つの踏ん切りをつける行為みたいなもので、乗り越えることでもある。まだ乗り越えちゃダメだとも思っていたのかもしれない。でも彼の遺伝子たちが華を咲かせ始めている今、ミクロコスモスの事務所が無くなる今、ボクにとっては何かの区切りなのかもしれないと思う。

そして今書きながらずっと涙を堪えている。

この記事で使わせていただいいる写真は全てカメラマンの水本光さんの撮影です。 https://hikarumizumoto.com/nonbiri-ps

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