パラリンピックの必要性を問う
私は精神障害者である。その私がずっと気になっていることは、なぜ、パラリンピックに精神障害者の枠がないのかということだった。調べてみると、精神障害以外にも聴覚障害や内部障害も対象外になっていた。聴覚障害は四肢に問題がないので、出場できるものだと思っていた。逆に四肢に問題がないのに知的障害はパラリンピックに参加できている。
パラリンピックはパラレル(もう一つの)オリンピックという意味で正式にパラリンピックという名称が与えられた。パラリンピックと聞けば誰でも「障害者のオリンピック」だと頭に浮かぶだろう。
障害者は身体能力でどうしても健常者より劣ってしまう。しかし、障害者がスポーツの世界から排除されることは悔しい。障害者だって、体を動かして競技をすることができるし、それに喜びを感じる。だからと言ってパラリンピックという「障害者特別枠」を作ることに納得がいかない。しかし、それ以前に、排除されてきた障害者が順番を競うことは間違いなのではないだろうか。
私は子供の頃、運動がとても苦手だった。真剣に走っても教師から「真面目にやれ」と怒鳴られ、運動会ではいつも最下位。マラソン大会では一番最後をフラフラしながら走っていた。その度に「お前はダメなやつだ」と、言われている気がしたし、実際、クラスメイトから馬鹿にされていた。人間に1番や2番などと、数字を当てがう行為に不満を感じてしまう。
近年のオリンピックは政治と民間企業の癒着で成り立っており、出場する選手たちは金メダルを取ることに命をかけている。他のものを蹴落とし、ナンバーワンになるということは、精神的に辛いことらしい。2022年にAthlete365 コミュニティを対象に実施された調査では、 エリートアスリートの5人に1人が過去1年間にメンタルヘルス不良に苦しんでいたことが明らかになっている。1*(世界の平均は8人に1人)運動会で万年ビリの私もトップアスリートも精神を病んでいるのは興味深い。
プロテニスプレイヤーの大坂なおみ選手もうつ病を告白したし、日本の長距離マラソンの選手が摂食障害になって万引きを繰り返して逮捕されたというニュースが報じられたこともある。もちろん、スポーツを通して喜びや達成感があるのは分かるし、それが仕事になっている人もいる。しかし、競うという行為が人間を精神的に追い詰めることを思うと、オリンピックもパラリンピックもない方が世の中にとっていいことなのではないかと考えてしまう。
しかし、精神障害者である私には出場権がない。当事者でない私がオリンピックやパラリンピックについて考えて答えが出ないのは当然のことかもしれない。
1* https://olympics.com/athlete365/app/uploads/2023/09/MentalHealthActionPlanJapanesefinalR1.pdf 9ページ
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