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#17 年越しとそぞろ歩き

ひさびさのおいもです。
新しい年がやってきました。

私は2年目の東京、大体ひとりの年越しでした。3月には京都に拠点を移し、広島にも帰省するのだからと昨年に引き続き年越しは見送りました。

大人は節目を自分でちゃんと作らないといけないので、大みそかは紅白を見ながらお部屋の断捨離を進めます。夕方ギリギリでそばを買いに行って、ただゆでて食べました。適当なものでも、ちゃんとあるのがだいじです。

寂しいので、日付けが変わるときは母とFacetimeをつなぐことに。諸々近況をご報告。「本当に休学するの?」から始まり、結論の出ない将来の話で少しくじけそうになりました。両親は「できることなら大企業で仕事のできる人と快適に働いて、たくさんお給料を稼いで楽に暮らしてほしい」とのこと。外資系に行ったらどうかと言われました。気持ちはよくわかるけれども、さて、どうかしら。

これは多分幸いなことですが、あくまで全て自己決定させる両親なので、許されないと悩むことはなく、私は私が思う道を自分の責任において歩むことになりそうです。事後報告の休学は、当てがあるような無いような道のり。それでも、どんな道もしんどいのなら信じた夢を追いかけるしんどさを選びたいと思っています。

秋から、いや2024年は気が付けばずーーっと走り続けていた感覚で、年末はついに燃え尽き症候群になって、朝起きられない日がつづきました。意を決して仲間に会いに行って他愛のない話をして、直りの悪い傷もようやくかさぶたになった頃です。まだあまり物事に手が付きません。ここに白状しておきます。

なんだかグレーな近況報告。。笑

今日は外の空気を吸おうとして、そして情報機器から離れようと思って、スマホを置いてメモとペンを持って外に出ました。目的はないけれど、家にはいられない気がしました。

信号待ちで、ふと頭に浮かぶことをメモに書き記します。今時大体の人がスマホくらい持っているものだから、道端で書き物なんかしている人はほとんど見かけません。少し面映ゆいような気持ちがします。字もあまりきれいでなければ、書くのも遅い。不便なように思いますが、注意が集中して頭はよく働くようです。良い思いつき、気づきは散漫な思考からは生まれづらいというのは至極単純で既知の事実です。

やがて公園にやってきます。緑豊かな教育園と舗装されたコンクリートと石畳の広場が共存している、近所では一番気に入りの場所。私は緑が茂り、土に触れられる教育園が好きです。しかも、こちらにはほとんど人がいないんです(笑)森という未知と多様性に満ちた場所はまさしく命の在処。確かにボール遊びもダンスもできないし、子どもが不注意に走っていくと怪我をしそうなところも多いけれども、小さな生き物としての謙虚さと矜持を確認するにはもってこいの場所です。「永さ」に触れることのできる貴重な場でもあります。都市はほとんどが人工物で成っているから、見えるところにあるのはあくまで人間が理解できたものだけ。だからある意味シンプルだといえるかもしれない。人の秩序が世界を覆っているように思います。その中で育った子どもたちには、もしかして森のほうが未知で、現実世界から隔絶された非日常味すら感じさせるものかもしれない。元来た場所だと分かる頭と解せない心を携えて。そんな歪みが私の中にもあることを、忘れずにいたいと思います。

今年は去年よりも自然のそばに身を置きながら過ごせたらと思います。喜怒哀楽を押し殺さずに、好奇心も褪せることなく心豊かにいられるように。愛することで満たされる命でありたいと思います。

なんだかちょっと硬くなってしまったけれど、
たまにはこういうお話もいいよねってことで(笑)

きょうもおいもを読んでくれてどうもありがとうございます。
皆さま、健やかな一年になりますように。

2025年1月5日


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