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言葉以前の世界

北海道に住んでいた小学生の頃、友達のおばあちゃんは純血のアイヌの最後の世代だと言っていた。当時の記憶の時点ですでに90歳を超えているような仙人みたいな風貌で、よくその友達とは遊んでいたので話をした。

全ての山や川や平野には、生き物の形を借りた神様がいるんだよ。
そんな話に耳を傾けて当たり前の教養のように刷り込まれている。自社仏閣というものは極端に北海道には少なく、言葉にこそ強く表出しないがアニミズム的な価値観の気配が色濃かったんだなと地元を離れて思う。

僕らがよく遊びに行く裏山の神様は何?と聞くと、私が知る限り、大きな蛙だったね。と教えてもらう。大きなカエルを見つければ神様に会える。そうワクワクした感情が顔に出ていたのだろう。おばばに「遊びで探しちゃだめだよ」といつも閉じてる細い目が少しだけ開いたような気がした。

でも、もし出会ったらどうしたらいい?と言われると「見てはいけないよ、おばけより怖いからね」と言われ縮み上がった。大人になってもよく聞く神様を見てはいけないという話は子供の頃から学んでいたので祇園祭や色々な神事で神様が隠されて登場することに違和感を感じなかった。畏れ多いものなのだ。

しかし、このおばばの注意に反して、僕は神様に出会ったしまった。
いつも遊ぶ裏山だ。脳裏から離れない大きなカエルの姿をした神様の存在。隠れん坊だか、鬼ごっこをしていたときに息を殺して木陰の草むらに隠れていた。風が吹いて木々がざわざわと音を立てている音が急に止む。友達の声も聞こえない。子供ながらに異質な空気に神様が近いと感じた。そして、目を合わせてはいけないことを思い出し、ぎゅっと目を閉じた。

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