理想って凶器かもしれない。
本当は、隠居のように自然あふれる山奥か海辺で静かにアイデアを考え、幾ばくかのお金で暮らしたいと果てしない昔から思っている。そのために努力を重ねるも、不思議とその理想から遠ざかっていくジレンマを感じる。
この仕事は天職である一方、本当にありがたいことにこれは松倉に依頼したいという指名が増える。年々とプロジェクト規模も大きくなる。会議に欠かせない存在となるし、できれば現地で、もしくはスタジオで対面したい。となる。
結果、日本中を移動したり、連日打ち合わせと酒を浴びる日々となっている。どこへいった隠居生活。とはいえ、必要とされることの大切さが骨身に染みるほど理解している。誰からも必要とされなくなった時、クリエイターとしての人生にピリオドを打たれる。そもそも隠居なんてゲームルール上むずかしいのだろう。
なぜわざわざ田舎に戻って静かに生きたいかというと、生まれがど田舎だからだ。18歳まで育った札幌も大都市だけれど家は田舎だ。なにもなく自然だけがある。そうなると思考と読書だけが暇つぶしとなる。その時に戻りたいのだなと自身の心を振り返ると気付かされる。
仕事で海を見ると子供のように喜んでしまう。
北海道での暮らしは海が遠い。海に行きついても岩場だらけだ。だからなのか昆布が有名だ。
昨日、日帰りで渋谷へ出張した。出張という感覚から、もう完全に隣町レベルで移動している。荷物もサコッシュひとつ。トークイベントのテーマも会場に到着してから改めて理解した。関西トークイベントのノリで関東トークイベントもまぁまぁ行けるもんだなと話しながら思う。
身の丈4倍ほどの大きなLEDビジョン。トーク中もたくさんの人が会場の目の前を行き交いする。都会だ。見上げると身の丈10倍ほどのビジョンも見える。映画で描かれる未来の東京に近づいている。はて、自分はどこへ向かうのだろうとトーク終わりのラーメン屋で考える。
僕の好きな漫画で「そう!」と共感しかないフレーズがTLに流れてきた。このセリフ、俺も大好きだ。
俺は恵まれている。理解してくれる他者が溢れている。
孤独な自分が描く理想の隠居生活
vs
実は孤独が苦手な他者に恵まれた今の自分
という構造だ。
日本中に自分を理解してくれている他者がいるし、
日本中に自分が理解していると思っている他者がいる。
それって当たり前で気付いてないけど、めちゃくちゃハッピーライフやんけ。と思うのだ。ボーッと夜の新幹線の真っ暗闇の風景を見て、堂々巡りな思考が回る。
果たして自分はどこか田舎でも定住して静かに暮らしたいのか。
男の子の願望的な風来坊的、わかりやすくいうとスナフキン的暮らしが理想なのかもしれない。孤独な時もあるし、孤独ではないときもある。スナフキンってのはずるい存在だと思ったが、違う。ムーミンたちは冬眠するから暇やし冬は旅に出るんだった。
自分が思い描く理想とはなんだ?
京都駅につくと、そんな疑問が主題になっていた。
僕が嫌いなのは他者が勝手に理想をぶつけてくる状態だ。イメージだけで、こうだろうという像を勝手に重ねて期待してきたり、世間的にこうだからあなたはこうあるべきだという押し付けも嫌いだ。
人は自身への期待でも押しつぶされる時がある。自分の理想に圧迫される感じ。思い描いていたものに到底追いつけないとか、そういう感じのもの。
同時に他者の描く理想もほっぺたあたりをぐりぐりされる。理想圧迫死まっしぐらみたいなことは、この世にあるのだ。
自分を含め、こういう輩を理解してくれない他者・もしくは自己なんだろうと思う。そのような物事に僕は触れていきたくない。結果、理想などというものに振り回されず、振り回さず、その中の関係性で生きていくことが理想なのかもしれない。理想って凶器かもしれない。
今日も今日とて、休日であることを忘れて、建築家と打ち合わせだ。
ちょっと面白いアイデアが通って、実現したい。
そのワクワクの手綱を一緒に持ってくれる仲間を集めている。
昨日のミッションとは違う今日のミッション。明日も変わる。でも、ワクワクの在処を探し求めて日本中を右往左往している。
ん、それってスナフキンじゃん。
と今朝方腑に落ちた。今、僕は理想の中にいるのかもしれない。
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🍺ビールに代わる日記🍺
プランナーとして考え続ける日々や経営しながら苦悩する日々をつらつらと書いていきます。読者の質問には全て答えていこうと思っています。 頻度:…
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