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環境の余白、心の余白

出張から戻りアトリエで作業をしている。あれだけ晴れていた空が雨模様。これは止みそうにない。ついさっきまでいたような京丹後の空が嘘のようだ。現地で気づいたことはいろいろあるが整理がついてから、またここに書こうと思う。先に一つだけ言えることがあるとしたら、路上にカニの手が落ちていたということだ。

改めて京都に戻ると「抜け感がない」と気付く。なんという密集度。環境の余白量は、心の余白量と比例しそうだ。休めばいいものの帰ってきて早々に働いている自分が嫌になる。家にいても暇だからだけれど、何かから目をそらすような感覚がある。

丹後ではあいだ飲み会をするりと抜けて見上げた夜空に満天の星が輝いていた。海辺に寝転がり、ぼーっと夜空を眺める。時間の速度が心地よい、風が吹いて自分も遠くに飛ばされそうな錯覚がある。主導権が僕にではなく、環境にある感覚があった。

京都市内に帰ってくると急に主導権が人に変わる。
それはなんとなく、自分と環境の主従が入れ替わる感覚がある。
いろんなものの時間が動いて否が応でも自分も動かなければいけなくなる。
はたして、そんなに急ぐ必要があるのか疑問に思うが同じ日本にいても「郷に入れば郷に従え」の感覚で圧倒的に大多数の時計に巻き込まれていく。

不思議なもので人間賢いのに何か大きな当たり前というものに抗えない。このままMTGとタスクの反復横跳びに戻っていくのだなぁ。自分のペースに戻すのにまた少し時間がかかりそうだ。

しかし、そんな自分にもちょっとした変化がある。
無尽蔵にわいて出てくるタスクに対して、優先度はもちろんあるが、自分がやりたいと思うものから優先して手をつけるように変化している。なんかある時どこかのタイミングでそう思ったのだ。

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