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滋賀の撮影中、鹿の骨を拾った。 朽ち果てた廃屋の入り口に横たわったままの形状で頭から背骨まで横たわっていた。動物や虫たちが土に返す途中。どうしても骨だけは残る。 ひょいと素手で持ち上げると撮影クルーの一人が「持って帰るんですか?」と驚いた。そうか、俺のデスク骨だらけなの知らない子だった。 人生で、骨を買うことはない。 行き当たりばったりで出会った骨は拾って帰っている。 どうせ土にも帰れない。そして、この骨にもう魂はない。 骨を持ち帰ることに抵抗感を覚える人もいる。なんだろう
朝からぶっ通しでmtgを重ねて気づけば16時を過ぎている。 丹後ツアー二泊三日から、パンパンのスケジュールを超え、滋賀撮影二泊三日で、疲労以前に日焼けがすごい。一足どころか二足ほど早く夏を過ごし、昨日の銭湯で台風1号が発生したと夏の最先端を走っている感触がある。 丹後ツアーでは、育ち悩んでいた若い子がものすごい成長をしていて感動した。自分には何もない的な悩みだったのに彼女らしい強みでしっかり意思を持ち言葉を放っていた。目を逸らさず良い意味で大人のうまさというものがない純粋な
ふらっと散歩すると分かりやすく豪華な桜の風景を終えて、実はその足元で粛々と育ってきた生き物たちの存在感が増している。カメラを持って歩くだけで足元には新たな生き物が誕生している。いい季節だ。 僕の元には無数の相談が来る。企業から個人まで。さまざまだ。 その多くが自分の意思で生きている感覚を感じて、悩みあぐねていることに対して、どう思うのかを率直な意見として求められる。 おいおい、悩んでないとでも思っているのか。まぁいいけれど。 悩みや課題というものは、今急に巻き起こることで
出張から戻りアトリエで作業をしている。あれだけ晴れていた空が雨模様。これは止みそうにない。ついさっきまでいたような京丹後の空が嘘のようだ。現地で気づいたことはいろいろあるが整理がついてから、またここに書こうと思う。先に一つだけ言えることがあるとしたら、路上にカニの手が落ちていたということだ。 改めて京都に戻ると「抜け感がない」と気付く。なんという密集度。環境の余白量は、心の余白量と比例しそうだ。休めばいいものの帰ってきて早々に働いている自分が嫌になる。家にいても暇だからだけ
牛乳と各種燃料を販売しているらしきマルモ商店で思わずシャッターを切る。たしかにどちらも燃料だ。休みなく働く間のお散歩で見かけるこういう風景に思わず足を止める。 人によって仕事の過密さはバラバラだ。 他者の大変さは比較しようがない。誰かが体験できたとして、思ったほど松倉忙しくないかもしれないし、一瞬で心と体を壊すことだってあるはずだ。その人独特の重さみたいなものが人生とか責任なのだろうし、それはその人が生きてきた道によって異なる。なので比較するようなものでもない。 例年通り
すこぶる天気がいいGWにまったり散歩したり仕事したり過ごしている。毎年恒例だがGWには変に移動しない。どうせ人だらけだ。金もかかる。全部ずらして休めばいい。スタックしていた仕事を解消したり、積み上がった本を読み漁ったり、銭湯で時間も感がずぼーっと過ごしたり。 読んでる本でクロノスとカイロスの話があって面白かった。 クロノスは、刻一刻と刻まれる時間。1秒、1分、1時間、1日。至る所にクロノスはいるし、今の僕らはわりとクロノスの価値観の中で生きている。カイロスは「量的時間」を司