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生け捕りにされる思考そのもの

イノシシの生け捕りにする罠猟師さんの話に興味があって、テレビで特集されていると録画してなんども観る。なぜ興味があるかというと、猟師さんは、山の読むことができると知ったからだ。

山の中には獣の通る、獣道(「ウツ」というそうだ。)がある。猟師さんは、車からでもそのウツを見つけることができる。そして、イノシシや鹿の痕跡をたどり、その生態をだいたい把握することができる。

猟師さんの目には、一般の人には、見えないものが見えている。

山にはたくさんの情報があるのだが、山の素人には、そのたくさんの情報が支離滅裂な模様のように見えている。しかし、猟師さんの目には、いくつもの獣道が、生きて、はしっているのが見え、そこを行き交うたくさんの野生の獣の姿が、映っている。

経験のある猟師さんは獣道をしっかり読む。そして、獣の踏みそうなところに、罠を仕掛ける。若い個体は、経験が少ないから警戒心が足りない。罠にかかってしまう。

そこで、私は、考えた。

人間社会にもたくさん罠が仕掛けてあって、我々も、捕まっているのに気づいていないだけではないか。人間社会では、人間を生け捕りにすることは、流石にないのだが、人間の頭の中を誰かが、読んでいることはありうる。

我々の頭の中の山には、すでに密猟者が入って、荒らしているのだとしたら。思考そのものがイノシシのように生け捕りにされているとしたら。

人間の頭の中を、山に例えてみよう。

人間の思考の筋道が、獣道だとすれば、人間はそれぞれ、自分の山を頭の中に所有し、その山のなかに獣道を持っている。

そして、その獣道を、己の思考そのもの走らせている。

自分にとって心地よい、思考の獣道を通って、思考そのものが、餌を食って、生きている。

その思考の獣道に誰かが罠を仕掛けて、私たちの思考を生け捕りにしているとしたら。

こういうことを想像すると、怖ろしくないですか?

SNSやGoogle検索、お買い物履歴などなど、人間の頭の中の欲望の筋道は、日々、ビッグデータとして解析され、テック系企業は、そこに罠を仕掛けている。我々の欲望は、生け捕りにされる。

生け捕りにされて、処分されることもあるだろうし、飼いならされて、繁殖させられ、また山に返されていて、数を増やして、また捕まることもあるだろう。


思考の筋道に罠が仕掛けられているのに気がつかず、毎日毎日、思考そのものが生け捕りされていたら、やりきれない。自分の思考の筋道に、友達を呼び込んで、一緒に捕まることもあるかもしれない。

広告会社やテック系企業は、そんなことばかりやっていて、AIまで駆使して、我々の思考そのもののキャッチ・アンド・リリースをしているかもしれない。

また、国家が国民を飼いならすために、私たちの頭の中の山を、自然保護区にして、管理しているかもしれない。その業務を、民間企業にアウトソーシングしてるかもしれない。

イノシシはヌタ場と呼ばれる水たまりで、泥んこ遊びをして、体についた寄生虫を落としているという。

私たちも頭の中の山のヌタ場(Clubhouseも、所詮は、ヌタ場である。)で、泥まみれになってうれしそうにのたうちまわっていて、気持ちよくなっているのかもしれないが、そのヌタ場も罠かもしれず、ついでに、すでに、なんども生け捕りにされているのにも、気づいていなくて、一族郎党すでに生け捕られており、我々の思考そのものは、知能的には野生のイノシシの思考そのもの以下の、トホホな何かなのかもしれない。

そうやって、生け捕りにされた思考を頭に飼っている生き物を「現代人」と呼ぶのかもしれない。

そんなことないか?


(終わり)


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信州読書会 宮澤
お志有難うございます。