読書日記(2023.9.8) 『光顔巍々(こうがんぎぎ)』
太宰治 『風の便り』 新潮文庫『きりぎりす』所収
読書会の課題図書なので、少し読みはじめた。
小説家志望の38歳の男が、名を成した高踏派の小説家に、自費出版の短編集を送りつける。
そして、彼のこじれきって、鬱屈した心境を手紙に託して送りつけ、小説家との文通がはじまるという導入部だった。
いつもの太宰節である。
小説家志望の男のグルーヴのある自己卑下と自己欺瞞が、延々と綴られる手紙が、やはり、ユーモラスでそれなりに読ませるのである。
NHKEテレでの放送していた アーカイブ 追悼 作家・青木新門 生死を生きる
を録画で見る。
青木新門氏は、滝田洋二郎監督、モッくん主演の『おくりびと』の原作となった『納棺夫日記』の作者である。
『おくりびと』はみた。酔っ払ってみていたからかもしれないが、ボロボロ泣いてしまった。いい映画だった。『納棺夫日記』は読んでいない。
青木新門氏へのインタビューである。
富山の出身、安保闘争に関わって、早稲田を中退し、小説家を目指して、吉村昭に師事するも、芽が出ずに、子供も生まれたため、生活に窮して、生計のために葬儀屋に就職する。
本家の長男であったため、分家のおじさんから、葬儀屋に就職したことをひどく責められたそうである。
当時は、90%以上の人が家で看取られて亡くなっていた。
ご遺体を引きとる仕事であった。死を忌むという風習から、焼き場で一緒に作業着を焼けるにと、わざと粗末な格好で、死者を引き取りに行ったそうである。
そんなこんなで、仕事にもプライドが持てない。(映画でも、こんなおじさんみたいな仕事をしたいのか? と通夜に参列している子どもが、親せきのおじさんに揶揄されて、納棺夫のモッくんが傷つくシーンがあった)
しかし、交際相手の父親のご遺体を引き取るとき、汗だくになって、ご遺体を拭いていると、元カノが、汗まみれの顔を拭いてくれた。
ご遺体を、心でもって送り出してほしいという需要があるのに気づく。
富山は、私もこの春、旅してきたが、浄土真宗の信仰の深い地である。
青木氏も、死者の弔いがどうあるべきか考え、親鸞の『教行信証』を読んだら、冒頭の『教巻』の『光顔巍々(こうがんぎぎ)』という言葉に出会う。
ご遺体は、30分〜2時間ほどで死後硬直が始まり、硬直すると表情が強張ってしまうが、亡くなったすぐの顔は、皆、安らかなのだという。
親鸞聖人も、亡くなったばかりのご遺体の表情は『光顔巍々』なのだと伝えたかったのではないか、と青木氏は考えるようになる。
自分を罵倒した分家のおじさんも、無くなる寸前に意識不明だというので面会に行ったら、その時ばかり意識が戻り、青木氏が手を握ると「ありがとう」と言ってくれた。その言葉で、青木氏は、おじさんに膝をついて謝ったそうだ。おじさんの顔も『光顔巍々』のまま息をひきとった。
そんな話だった。もっと色々いい話をしていたが、酔っ払っていたので、覚えていない。もう一回見たい。
(おわり)