井伏鱒二『黒い雨』読書会 (2023.8.4)
2023.8.4に行った井伏鱒二『黒い雨』読書会のもようです。
私も書きました。
『最も正しき戦争よりも、最も不正な平和を私はえらぶ』 キケロ
今年はようやく『黒い雨』の資料である『重松日記』(重松静馬著 筑摩書房)を半分ほど読むことができた。5年前ほどに購入して、毎年読もうと思いながら、正直、なかなか億劫で読めなかったのだ。
井伏鱒二は、重松氏と釣り仲間であった。井伏氏は戦後まで、小畠村の重松氏の生家に疎開していたことがあり、その縁で、この村の代官所の古文書を小説の題材としたことがあった。その後、重松氏が原爆体験日記を子孫のために書き上げたので、井伏氏に読んで欲しい、とたまたま頼んだのが『黒い雨』が生まれたきっかけであった。
新潮社は、重松氏の日記を買い取り、井伏氏は、それを資料にして『黒い雨』を書いた。今回『重松日記』を半分ほど読んだが、『黒い雨』にはかなり創作があることがわかった。無論小説であるから当たり前なのだが、例えば、重松氏は、曹洞宗の御経で葬儀を行っていて、「白骨のご文章」は出てこない、などなど、ディテールにおいて、井伏氏の創作があった。ただ、重松氏の被曝日記もなかなか読み応えがあった。
(引用はじめ)
明日は十二日か。何曜日かなとカレンダーを見ると、青色の紙で土曜日だ。横の余白に、
『最も正しき戦争よりも、最も不正な平和を私はえらぶ』 キケロ ローマの政治家……と印刷してあった。
正しき戦争よりも、不正な平和を私はえらぶ、正しき戦争よりも、不正な平和を私はえらぶ……。この句にとびついて、力の限り抱きしめて、はなしたくない。胸中で何かむらむらとわき上がって来た。
(『重松日記』 P.164-165)
(引用おわり)
このキケロの言葉は、『黒い雨』P.205の『いわゆる正義の戦争より不正義の平和のほうがいい』という閑間重松の独り言に使われている。
矢須子のモデルとなった高丸安子氏は、昭和32年に原爆症を発症し、昭和35年に亡くなっている。享年32歳。彼女が病床で書いた被曝体験記もあったそうだが、闘病していた本人がいたたまれなくなって焼き捨ててしまったそうである。安子氏は、戦後すぐに重松のいとこと結婚し、二児をもうけている。(『重松日記』P.217~218 相馬正一氏の解説、P.286~287参照)
『黒い雨』は矢須子の結婚と病状のことで気を揉んでいた重松の祈りの言葉で締めくくられているが、原爆症で亡くなられたとはいえ、モデルの方は、戦後すぐ結婚されていたそうである。
(おわり)
読書会のもようです。