見出し画像

『愛と追憶の日々』を観て

おけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

長野市は激寒で、スマホの天気予報では、明日の深夜-16度になるとあります。こんな寒い元旦は初めてです。

酒飲んで麻雀配信して半荘打ったら激烈に眠くなり、横になったら爆睡してしまい、気づいたら年が明けていました。

寒さのせいか、のどちんこが腫れてしまいました。腫れたまま舌の上に乗ってしまって、微妙な違和感です。

起き出して、コーヒー飲みながら、年末途中まで見ていた『愛と追憶の日々』の録画の続きを見ました。

その感想を書きたいと思います。

私は、昨年NHKのBSで放送していたビリー・ワイルダー監督作品の『アパートの鍵貸します』を見て、シャーリー・マクレーンのファンになりました。

この作品で、彼女は、会社の重役と不倫しているエレベーターガールを演じていました。彼女は、不倫で傷ついて自殺未遂をしますが、彼女に恋をしている主演の男に救われます。

私にとってのシャーリー・マクレーンの魅力は、普段は、陽気に振舞っているけれど、時々、なんかちょっと淋しそう表情をするところです。

この「なんかちょっと淋しそう」というのが、なぜ私にとって魅力的なのか説明するのは難しいところなんですが、これを説明したいのであります。


外は、雪が積もっていて、雪かきをしなければならないのですが、それをやると、もう集中力がなくなって、感想文など書く気がしなくなるので、とりあえずこの感想を書いてからやろうと思います。


『愛と追憶の日々』は母と娘の話です。

シャーリー・マクレーンの娘をデブラ・ウィンガーが演じています。娘が大学教員と結婚するのですが、母は反対します。

結局できちゃった婚同然で結婚して、娘は家を出て、三人の子供をもうけますが、大学教員の夫は、院生と浮気します。

娘は、怒って実家に帰ります。


まあ、そんな話です。最初の30分はかったるくて、見るのやめようかと思いました。隣に住んでいる宇宙飛行士のジャック・ニコルソンが現れて、なんとか見るのをやめずにすみました。


シャーリー・マクレーンはおばあちゃん役です。『アパートの鍵貸します』のころのコケティッシュな感じなどありません。元気で奔放な、60代の女性みたいな役どころです。隣人のジャック・ニコルソンと恋に落ちます。

しかし、その老いらくの恋は、どうでもいいのです。

後半、私は涙してしまいました。


ネタバレになりますが、娘であるデブラ・ウィンガーが癌にかかり、闘病生活に入ります。

三人の子供の養育を巡って、義母と婿は口論します。

あの娘が死んだ後では、育児しながら恋愛するのは難しいだろうから、子供は私に預けなさいと、義母であるシャーリー・マクレーンはズケズケ言います。

夫は、子供のことは口出しさせないと言い返します。

映画のプロット自体は、つながりが下手くそで、ブツブツ切れているのですが、シャーリー・マクレーンの演技だけでもっているような映画です。


私が感動したのは、10歳くらいの長男が、反抗期で、病気の母の悪口を言います。

実際この長男は、やりたい放題の母親に子供ながら、幼い頃からずっとムカっ腹を立てていたのでした。

あばあちゃんのシャーリー・マクレーンに「ママがボーイスカウトに入れてくれなかった」とか文句を垂れるのですが、シャーリー・マクレーンが病院の前の芝生で、この長男を追いかけだして、引きずり倒し、立ち上がらせたところを、思い切りひっぱたくのです。

闘病中のママの文句を言うなとか、そんな子供への説教ではないのです。

「ママの悪口を私の前で言わせない!」と言って容赦なくビンタするのです。

10歳くらいの孫も、ブチギレて、おばあちゃんであるシャーリー・マクレーンを殴り返そうとするのですが、パンチを右手でガードして、さらに追加で2発の平手打ちを孫におみまいします。

とんでもないおばあちゃんです。

私はこのシーン見て感動してしまいました。

この母と娘はあまり仲が良くなかったのですが、「ママの悪口を私の前で言わせない!」という言葉に、母と娘の関係を垣間見た気がしました。

孫を教育しようとして殴ったのではなく、一人の精神的に自立した女としてふてくされた態度をとる10歳の孫を殴っているのです。

たんなる虐待じゃねえか、といわれると困るんですが、その迫力に圧倒されました。

この陽気なおばあちゃんも、女として一生懸命生きているんだ。

そういう気迫にふれた思いです。

日本映画では、あまりお目にかからないようなシーンです。

やはり、日本映画だと、その辺、孫が失礼なことをいっても、おだやかに諭すくらいで、まあまあという感じで、孫を殴るところまでいかないと思うのですが、(仮に、発作的に殴ってもおばあちゃんも泣き出すみたいな)

孫の反撃をガードしてダメ押しの2発みまうというのは、おばあちゃんなりの人生への理屈があってやっているんだと思います。


その理屈の部分に、私なんかは、いたく感動するのです。

シャーリー・マクレーンの「なんかちょっと淋しそう」というのは、そういう理屈が彼女の中にありそうだと思わせるところから醸し出されているのかなと思いました。


もう一つ感動したシーンは娘が臨終するシーンです。

個室ベットで看病していたのですが、夫は疲れて、ベッドの横で椅子にもたれて眠ってしまっています。

シャーリー・マクレーンも少し離れたところに座って、ベッドで横になっている娘を見つめ続けます。

デブラ・ウィンガーが最後に、母と目を合わせます。夫は眠っています。


シャーリー・マクレーンは、やせ細った娘をじっと見つめて、看病に疲れた顔で、無理に、微笑みます。


娘は、見つめられたまま表情を失います。


そこへナースがやってきて、彼女の脈を取ります。


そして、ナースは、ちょとだけシャーリー・マクレーンの方を見ますが、彼女が何もかも理解しているのを見てとって、彼女のそばは素通りして、椅子で眠っていた夫に声をかけて起こします。

そして、夫を起こして、「ご臨終です( She is gone.)」と告げます。


結局、この夫は、うたた寝してしまい、妻の死に目に合わなかったのです。


だけど、そんな婿を責めるわけでもなく、娘が亡くなったことをすでに悟っていたシャーリー・マクレーンは、物思いにふけっています。

そして、やがて徐々に、呼吸が荒くなり、肩をふるわせて、嗚咽するんです。


私は、見ていてびっくりしてしまい、巻き戻して、もう一度このシーンを見てしまいました。


娘の死を受け入れるにあたっても、彼女なりの理屈があったのです。


ああ、こういう風に人生を受け入れているのか。


こうやって生きていかなきゃいけないのか。


そういうことを思って、娘が亡くなったいうシーンの意味とは、別のところで感動しました。


以上の二つは、わがままで奔放なおばあちゃんである、シャーリー・マクレーンが、色々な葛藤を経て、確固たる覚悟で、現実に向かい合っている姿勢が、明確になるシーンでした。


シャーリー・マクレーンの口角だけ、キュッとあげる作り笑顔をします。

私は、そこに生きていくための覚悟を見ました。(くさい言い方ですが)

なんだか「ちょっと淋しそう」に笑うんです。

その笑顔には、諦めみたいなものが漂っているのですが、シニカルなわけではなく、そこはかとない媚態があるのです。


九鬼周造が、『いきの構造』で、「粋」とは、「諦めと意気地と媚態」の3つの要素から成り立っているといっていますが、私は、シャーリー・マクレーンにも「粋」を感じました。


というわけで、頑張って書いてみたのですが、うまく伝えることがでいません。くるりんぱ。雪かきでもします。


(おわり)


















































お志有難うございます。