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トルストイ『戦争と平和 第一部第三篇』読書会(2023.12.1)

2023.12.1に行ったトルストイ『戦争と平和 第一部第三篇』読書会の模様です。

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解説しました。

私も書きました。


デジタルネイチャーのニコライ


負傷して、戦場で捕虜になりそうになったので逃げ回り、シェングラーベンの戦闘で大活躍した「マトヴェーヴナおばさん」という大砲に乗せてもらって、退却し、誰にも開放されず、孤独で惨めな思いをしたニコライだが、しばらくすると、脳内でいわゆる「思い出補正」が起こり、自分が勇敢に戦い抜いたという武勇伝をでっちあげ、お友達のボリスやベルグに吹聴するエピソードが、面白かった。

イキリ散らかして、その態度の根底にある欺瞞を、アンドレイに見破られ、決闘を申し込もうとするまでに逆上しながらも、彼に奇妙な尊敬を覚えるという一連のニコライの心理の変化は、クソダサムーヴ満載で、共感性羞恥を誘う点では、ブリエンヌの『あわれなる母』の妄想と双璧をなす。


二十歳そこそこの貴族たちが、己の才能に頼って、武功をあげようとするが、ナポレオン軍の機動力を最大限に生かし戦闘作戦の前には、ロシアやオーストリアの戦いはいかにも旧時代的で、非力であった。

私は思うのである。

あっという間に自分も中年になってしまった。アンドレイやニコライよりも歳である。世間的に言えば中年が、社会を担う中堅なのだろう。しかし、新しい時代を担うという意味では、自分がもう時代遅れの人間であることを、最近ひしひし感じる。そして、自分の生きてきた時代の価値観が、どんどん崩壊していくのを強く感じる。昭和的な年功序列、終身雇用は、少子高齢化の中ではもう維持が難しいし、それにつれて家族のあり方や、社会のあり方も、変化せざるを得ない時代になっている。

私は、2000年代以降に生まれた「Z世代」と考え方も価値観も違うのを強く感じる。彼らは、デジタルネイチャーであり、見ている現実が違う気がする。彼らが、我々の世代よりも優れているとは思わないが、価値観が違うから、どこか理解し合えない部分があると思っている。既存社会の格差にどこかで絶望しながらも、世の中をなめている浅慮に自覚がなく、どこかで、ありもしない己の才能に頼んでいる。これはいつの若者にも共通するが、今のほうがファスト化が進んでいる。

すべて短絡的である。闇バイトで騙されて捕まる若者たちを見ていればわかる。彼らはニコライのファスト版である。ロシア軍とオーストリア軍が同士討ちするよりも、愚かである。


しかし、よく考えればいつの時代も、理解不能で愚かな新しい世代が、世の中の中心になって時代を作っていくのである。それがいかに無知で脆弱であろうが、失敗しながら成長を重ね、なんとか世の中を回していくのである。しかし、自分はもう世の中を回す世代から追いやられていく。なんの影響力もなくなっていくだろうから、自分に関心のあることを世の中の反応とは別に、やっていくしかない気がしている。

ナポレオンは新しい時代の新しい思想の伝道者である。彼は、新しい価値観のヨーロッパを築き上げようとした。ロシアの若い世代も、自分たちがナポレオンのように新しいロシアを築き上げるんだという気概がある。アンドレイは特にそれが強い。

ナポレオンへの憧れを失い、青い空に流れる雲を見て、一切が空虚であることを悟ったアンドレイが、これからどうやって生きていくのか? それが非常に気になった。こんなところでアンドレイが死んだらまさに犬死であった。続きが楽しみである。

(おわり)

読書会の模様です。


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信州読書会 宮澤
お志有難うございます。