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『きみが死んだあとで』感想 その2
(引用はじめ)
これは谷川雁(がん)さんのエッセイで読んだのかなあ。天草(あまくさ)の漁師は、若い漁師が魚を捕りに行く時に、船の舳先(へさき)に働くことのできなくなった爺さんをひとり置いとくんだそうです。そう。何も役に立たない老人を。何の意味があるんだと思うでしょう。
ところが、若者たちが漁に夢中になっている最中に「あと2時間したら南から嵐がやってくるぞ」と老人がポツンとつぶやく。そうすると網を引き上げてすぐ港に戻る。どんなに魚が打ても。「これが天草の漁師たちの組織論だ」というようなことを谷川さんが言っていた。あの時代に、この無駄を組織論に生かしているそ組織というのがいうのがひとつもないじゃないか。でも庶民は、全部知っているんだ、と。
何かを始めるときに、何が一番大事なのか。どういう文化を大事にするか。たかだか10年の年齢差でまとまった程度の組織論、上から目線で、全て突破してゆこうとする。そんなこと成立するわけがないんですよ。
『きみが死んだあとで』 代島晴彦 晶文社 P.172
(引用おわり)
映画版で佐々木幹郎氏が語っていた上記の天草の漁師の話が印象的だった。
私は政治を考えるとき肝に銘じている政治学者丸山真男の言葉がある。
(引用はじめ)
政治の本質的な契機は人間の人間に対する統制を組織化することである。統制といい、組織化といい、いずれも人間を現実に動かすことであり、人間の外部的に実現された行為を媒介として初めて政治が成り立つ。従って政治は否応なく人間存在のメカニズムを全体的に知悉(ちしつ)していなければならぬ。
『人間と政治』 丸山真男 岩波文庫『政治の世界』所収 P.43
(引用おわり)
天草の漁師の爺さんには、雲行きをみて、嵐を予知するの能力をがある。
だから、漁に没頭している若者の漁師を現実に動かす力を持っているのである。
嵐の予知できない、そんなポンコツ爺さん、船の舳先に乗せるわけにはいかない。
しかし重要なことは、天草の爺さんは、天草の爺さんは、漁に没頭して、雲行きが怪しくても、漁を続けてしまうような若者特有の読みの甘さこそ、知っているのだ、と私は思う。
つまり、天草の漁師の爺さんは、人間を知っているということだ。
組織を作るためには、人間を知らなければならない。
だから『人間の人間に対する統制を組織化』の究極であるところの政治を志すならば、まず、人間を知らなければならない。
全共闘世代の学生運動は、人間を知らない若者が、素朴な善意や正義感で政治活動をはじめ、暴力を肯定して、やがては、それぞれのセクトの内ゲバに至るという末路を辿った。
その経緯は、『きみが死んだあとで』に登場する方々のインタビューを見ていればわかる。
私が、2015年頃の国会デモを見ていて嫌だったのは、いまだに、人間も知らないよう全共闘世代の知識人が、デモを賛美し賛美し扇動している姿に反吐が出たからだ。
今もなお、左翼的政治活動に群がる全共闘世代が果たして、人間を知っているのか?
人間を知っているような文化を残しているか?
哲学や文学を残しているか?
せいぜい子ども向けの漫画とかアニメくらいじゃないか?
左翼のよくないのは、人間性の擁護やら人権やらは声高に唱える割には、保守陣営の庶民を軽蔑して家畜のように管理しようとするリアリズムに負けっぱなしだからである。
保守陣営は庶民を軽蔑しているが、統制するすべは知っている。
それは、保守陣営が、人間を知っているということではないのだが、そうわいっても、正義やら人権を抽象的に語る左翼よりは、よっぽど人間を知っているのである。
左翼が負けっぱなしなのは、彼らの人間観がいつまでたっても「人間存在のメカニズム」とは無縁のところにある幼稚なものだから、人間を動かすこともできないし、政権を交代させることもできないのである。
彼らが見つけ出した社会的弱者やマイノリティーを焚きつけ、アイデンティティ政治ばかりやっている。これでは一部の人間しか動かさない。
左翼の批判する新自由主義だって、人間を統制化し、現実に人間を動かしている思想である。
飲み屋の常連だって、他の客の迷惑になれば出禁にしなければいけないような統制が必要で、他の常連を組織化して、店でのルールを納得させなければならないように、企業活動も、メインは、従業員や統制の組織化である。
実際の選挙も、選挙区の有権者の組織化であり、選挙事務所の組織化であり、ビラ配りや、ポスター貼り、後援者名簿の電話などのボランティアの統制の組織化である。
格差は広がっているのだろうが、市場を通じて統制を組織化する新自由主義の思想が、現実に力を持っているのは、人間が欲望によって統制化され組織化されるという一面を、深掘りして、保守陣営が、実際に人間を動かしているからだろう。
(私は、現代の日本政治が新自由主義路線だと思わないが、左翼の言う新自由主義が、メインストリームであると仮定しての話である)
お前ごときが偉そうにと言われそうだが、YouTubeのチャンネル登録などのフォロワーを1人増やすのも、いいね!ボタン一つもらうのも、読書会に感想文を送っていただくのも、私なりの統制の組織化である。
私の人間存在への理解が、その数字に反映されているのであって、議会制民主主義が、有権者の得票数で決まるのと同じように、それだけが、人間を実際に動かしている指標なのである。
実際に人間を動かすことのできない人間が、何を言っても、それは存在していないのと同じである。
人間を知らないのに政治参加して、やった感だけ出していても、それは自己満足である。
正義や人権を語っているから偉いかどうかは、周りが決めることであって、自分で決めることではない。
周囲が動かなければ正義や人権を自己正当化の道具に利用していることにしかならなくなる。
政治は結果論だとよく言われる。
結果に目を瞑って活動自体が目的化すれば、人間理解の未熟な活動家を甘やかすばかりで、カンパ集めて、私的に流用し、それがバレれば内ゲバでもはじめる程度である
それでは、全共闘運動から何の進歩もない。
(つづく)
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