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山本周五郎『赤ひげ診療譚』読書会(2024.10.18)

2024.10.18に行った山本周五郎『赤ひげ診療譚』読書会の模様です。

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私も書きました。

無知と貧困 許しと救済

私は恥ずかしながらある国立大の医学部を受験して落ちたことがある。医者は社会的ステータスが高く収入もいいのでなんとなく受けたのである。こういう不純な動機で、高校生の私は、なんとなく医学部を受けたのであるが、医者という職業に就くだけの使命感があるのか一応は自問自答はした。手塚治虫の『ブラックジャック』や『スーパードクターK』などの、漫画で医者の倫理観を学んだ気になっていた。医学部に進学した高校のOBを訪問して話を聞いたりした。 自分に向いていないような気もしていた。結局、学力が足りず落ちた。今となっては、落ちて当たり前だし、落ちて良かったも思っている。

保本登は御目見医になりたかった。蘭学で医術を学び、その専門知識でもって世間で幅を効かせるために出世したいと思っていた。自分の学んだ知識を出し渋るような彼の思い上がりは、高校時代のてめえの思い上がりのようで他人事と思えなかった。もし自分が医学部に受かって医者になっていたらおゆみに刺殺された世界線の保本になっていただろう。受験に失敗したおかげで私は浪人した挙げ句文転し、人生の辛酸を嘗め、今日に至る。だから『赤ひげ』の世界が心にしみるんだわ。高校生の頃これ読んでも、理解できなかったと思う。世間には無知と貧困があり、その一端を社会に出て眺めてきた。

高校生は世間知らずだし、医者が何なのか、きちんと教えてくれる赤ひげみたいな人物に会うこともない。そんな中で医学部に進学したとて、どっかの元県知事みたいに勘違いしたエリート意識をこじらせてな鼻持ちならない人間になっていた気がする。一度も挫折したことない組織内エリートが、世間の無知と貧困を理解できるわけがない。

小石川養生所で保本が学んだのは、自分の無知と医学の無力である。そして、世間の無知と貧困は、根絶し難い。二十一世紀になっても、無知と貧困はあふれかえっている。


(引用はじめ)

――世間からはみだし、世間から疎まれ嫌われ、憎まれたり軽侮されたりするものたちは、むしろ正直で気の弱い、善良であるが才知に欠けた人間が多い。これがせっぱ詰まった状態にぶつかると、自滅するか、是非の判断を失ってひどいことをする、かれらはつねにせっぱ詰まる条件がついてまわるし、多くは自滅してしまうけれども、やけになって非道なことをする人間は、才知に欠けているだけにそのやり方も桁外れになりがちだ、それは保本もずいぶん見て来たことだろう」(P .215-216)

(引用おわり)

弱い者たちを犯罪に導いてしまう無知と貧困と戦うことは、徒労である、と去定はこの後に語る。

最新の医学をもってしても、社会についていけず落ちこぼれるものたちはあとを絶たない。最新の技術で難病は治ったとしても、貧困と無知は根絶できないのである。闇バイトに応募して人を殺めている若者は、無知と貧困にさらされた現代人の見本である。最新の医学とて彼らを救うことはできない。

保本は自分を裏切ったちぐさを許せなかった。しかし、ちぐさを許せなければ、無知と貧困から過ちを犯す弱い者たちも許せない。

病を治すことは大切なことであるが、もっと大切なのは更生を促すために人を許すことである。無知と貧困を憎んで人を憎まないことだ。保本がちぐさを許したことは、彼の変化を象徴する大きなエピソードである。

保本は医者としての使命感を学んで、養生所に残ったのではない。人を許し、自分の傲慢と偏見を許すために残ったのだろう。許す力がなければ、無知と貧困から過ちを犯す人間を救済することも、世間の汚辱から逃げ出そうとする弱い人間、つまり自分自身を救済することもできない。

お医者さんや法曹関係者は赤ひげのように世間の無知と貧困をよく知っている人になってほしいと、今は思う。受験秀才が高収入と社会的ステータスを求めて選ぶ職業ではないと思う。

(おわり)

読書会の模様です。



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信州読書会 宮澤
お志有難うございます。