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梶井基次郎『冬の蠅』読書会 (2022.1.14)

2022.1.14に行った梶井基次郎『冬の蠅』読書会のもようです。

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青空文庫 梶井基次郎『冬の蠅』

朗読しました。

私も書きました。


『人生から問われている存在』


『男はつらいよ』の第20作『寅次郎頑張れ!』で、大竹しのぶがバイトしていた食堂の店主が、彼女の婚約祝いの宴席で、シューベルトの『冬の旅』を歌う、シーンがあった。何故か印象深かった。シューベルトは経済的に不遇で、病気がちであり、冬の旅路で死にたいと思うようになり、この連作歌曲を作曲したという。寅さんを演じる渥美清も肺結核で、片肺を失っており、週一度は安静にしなければ、仕事ができなかったそうだ。だから渥美清は、寅さん以外の作品にほぼ出演しなかった。冬の旅は、自分自身に問いかけてくる。

療養中の主人公は、郵便局に出かけた折に、そのまま出奔して山の中を彷徨う。

『歩け。歩け。歩き殺してしまえ。』発作的な自暴自棄の念に駆られ、冬の旅路に行き倒れて死ぬことを望んでいる。

しかし、日の暮れた冬の旅路にも『それは昼間の日のほとぼりがまだ斑(まだ)らに道に残っているためであるらしいことがわかって来た。』 


主人公は、自分の生命を温める太陽が憎かったが、いざ、自暴自棄に行き倒れてみようと思えば、その太陽に自分が生かされているのことを痛切に感じずにはいられない。


さらには、太陽に生かされた自分の生命を媒介にして、生かされている存在があったことに気がつく。

(引用はじめ)

それは私が彼らの死を傷(いた)んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。私はそいつの幅広い背を見たように思った。

(引用おわり)

自暴自棄の旅路から、ぬくもりの失われた宿に戻ってみると、冬の蠅は皆死んでいた。


冬の蠅にとっては、病身の自分こそが生存条件だと悟ったとき、『私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件』の広い背を見たのだった。


この『幅の広い背』のことを考えながら、私は、『夜と霧』の著者ヴィクトール・フランクルの言葉を思い出した。

(引用はじめ)

「人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に対し問いを発してきている。だから人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要などないのである。人間は、人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そしてその答えは、それぞれの人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない」 ヴィクトール・フランクル 『死と愛』 みすず書房

  (引用おわり)

人生からの問いへの具体的な答えは、結局、ぬくもりだったのではないか。

(おわり)

読書会のもようです。




お志有難うございます。