読書日記(2023.9.17) うたごえ運動とバークリー・メソッド
憂鬱と官能を教えた学校 菊地成孔 大谷能生 河出書房新社
アマゾンで見たら2009年に買っていた。積ん読になっていた。
YouTube上に音楽理論やコード理論を解説している動画がたくさんあり、音楽の素人でも、根気よく視聴していれば、ある程度理論的なものがわかるようになっている。
アメリカのバークリー音楽院で生まれたポピュラー・ミュージックの作曲理論、バークリー・メソッドについて解説している本。
真偽不明の与太話を交えて、音楽の歴史に仮説を立てながら、音楽理論の成り立ちについての解説が進んでいくので、読み物として退屈しない。
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『日本共産党-「革命」を夢見た100年』 中北 浩爾 中公新書
P.232まで読んだ。
宮本顕治体制になってから、「日本はアメリカの従属国である」という理論が党の綱領になっている。
六全協で中国共産党に倣った武装闘争を放棄して宮本顕治体制になっていくのだが、暴力革命を志向する学生組織から宮本顕治体制への反発が高まり、共産主義者同盟(ブント)の結成につながっていく過程がよくわかった。
なんでこんな本読んでるのかというと、マルクス=レーニン主義すら、やはり欠陥だらけの政治思想であり、日本人は、共産党員であっても、マルクス・レーニン主義を批判検討していないからである。
日本がアメリカの従属国であるというのは、実際そうだかどかそうだか、これは判断するのは難しいのだが、戦後のアメリカが作り上げた経済システム、それを支える貨幣理論というのは、マルクス=レーニン主義では批判しきれない政治及び経済理論としてのしっかりした骨格がある。
歴史的に言えばフリードマンの新自由主義が出てきて、ソ連はの経済は崩壊しているのである。マルクス=レーニン主義で、新自由主義を超えられるのかという問題がある。
全然例えになっていないかもしれないが、例を挙げる。
現在の日本のプロ野球が、大リーグの野球理論に従属してしまっているを私は感じる。
大リーグの野球理論の中で試されているいくつかを、日本のプロ野球関係者が、日本にマッチするように取り入れて使っている。後出しジャンケンというか、寸借詐欺というか。
それは、川上哲治が、ロサンジェルス・ドジャースの戦法を日本に輸入して、巨人のV9時代を築き、その延長線上で、日本の野球理論が発展して今日に至っているというのを見ればわかる。
理論というのは、実証主義と、抽象化の作業がなければ、生まれない。
現実を観察して、経験から法則性を見つける。
それを数値化するという抽象化の作業を行う。
これを現実にフィードバックして、仮説を検証して修正し続け理論化する。
こういう作業の繰り返しが、欧米の近代社会を支えている。
政治思想の社会への浸透や、理論の発展というのは、実証主義と抽象化の絶え間ない思考プロセスが伴わなければ、起こりようがない。
結党して100年以上経っても、共産主義が日本社会に浸透しないのだから、共産主義という政治思想は、思考のプロセスが停止しているのではないかと思う。
バークリー・メソッドは、マルクス=レーニン主義のあらゆる理論よりかは、よっぽど日本の音楽業界に根付いている。
音楽理論と政治思想は違うのかもしれないが、音楽は、はるかに実証主義的で、絶え間ない抽象化への挑戦を行なっており、演奏され、オーディエンスに聴かれることで、アクティブに社会の現実のに関わろうとしている。
1950年代に日本共産党が主導した「うたごえ運動」なるものがあった。
共産党は六全協以後、武装闘争の先頭に立ってきた学生運動の穏健化を図り、幅広い統一戦線の結成を目指して学生の身近な要求を取り上げるように指示し、うたごえ運動などを推奨した。
これが、のちの新宿フォークゲリラなどに繋がる運動の端緒である。
私が思うのは、個々に行なっていることを、その後自力で発展継承して、社会に根付かせるだけの理論的枠組みの弱さが、日本の閉塞感の原因なのではないかと思う。
日本人が、思考の上で、戦後アメリカの生み出した理論の追従者であることは間違いない。
日本社会のしょーもない現状というのは、何も考えないで生きているということに尽きる。
現代の左翼のやっているSDGsもキャンセルカルチャーも、アイデンティティ・ポリティクス(LGBTQ)も、全部アメリカの理論の追従である。
尻切れとんぼだが、また思いついたことを書きたい。
(おわり)
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