読書日記(2023.9.9)
こころの時代 〜宗教・人生〜 アーカイブ 「歎異抄に導かれて」をみた。
共産党の山村工作隊に取材をしにきたのちの読売新聞主筆、渡邊恒雄を解放した、作家、在日二世の高史明へのインタビュー。
関門海峡の炭鉱町のハモニカ長屋という窓もない長屋に、朝鮮人炭鉱労働者の息子として生まれる。
物乞いをするな、拾った物を持って帰るな、喧嘩をするな、と父からしつけられた。
人を殴ったものは体を縮めて寝なければならないが、殴られたものは体を広げて寝ることができる、というのが父の教えだった。
「きのしたたけお」という日本名で小学校に通う。
担任の先生は、本名の金天三(キン・テサン=キム・チョンサム)で出席をとるが、まさおとして通っていたので、返事ができなかった。
担任の先生は、自分の本名に誇りを持てと教えてくれた。
戦時下でも平等に教育してくれようとした日本人の先生がいた。
戦争体制になると、本名を名乗らされて、戦争の勤労動員の朝礼で、意地悪な先生から見せしめに殴られた。
そうこうしているうちに日本が敗戦して、殴った先生が、自分の顔を見て逃げ出し、奈落に起こるような気持ちがした。
言い訳も、謝罪もしない先生の態度に、ショックを受けた。
そこから非行に走り、無頼の徒になった。
父親は、いつも念仏を唱えていた。
南無阿弥陀仏
朝鮮語のため息だと思っていたら、名号であった。
その後数十年して。浄土真宗の教えに帰依するようになったという。
戦後、上京して日雇い労働者として働き、共産党に入るも、武力闘争に挫折して、『歎異抄』に導かれる。
暴力革命では、体を縮めて寝なければいけないと悟った。
(つづく)
お志有難うございます。