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トルストイ『戦争と平和 第二部第五篇』読書会(2024.1.26)

2024.1.26に行ったトルストイ『戦争と平和 第二部第五篇』読書会の模様です。

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解説しました。


思想上の大祖国戦争


第二部 第五編の内容は、ナポレオンのモスクワ侵攻の前夜祭といった印象である

ロシアの近代化の旗振り役だったスペランスキー伯爵の突然の失脚と流刑、アンドレイとナターシャの婚約破棄、そしてモスクワ上空に現れた、時代と運命の転換点を象徴するようなハレー彗星、これらの出来事を潮目として、小説は、これまで描かれていたモスクワとペテルブルグの二大都市での社交界から、ロシアの祖国解放戦争へと舞台を変えるのである。

ナポレオンへの侵攻に対するリアクションを、ロシア人は「祖国解放」と定義している。第二次世界大戦でのナチスドイツとの戦いも「大祖国戦争」と名付けている。他国の侵略からの解放という意味では、ウクライナ侵攻も「同朋ロシア系民族の解放のための特別軍事作戦」とおそらく、ロシア人は考えているだろう。ロシア人を世界の中心として考えればそういうことになっているそうだ。

祖国解放とは、何からの解放感であろうか? それはナポレオンの大陸封鎖からの経済的解放である。ロシアは、ティルジット講和以降、イギリスとの貿易が制限され経済的に大打撃を受けた。しかし、重要なのは、啓蒙思想の普及とフランス革命以降にロシア人の頭にも侵入してきた、おフランス思想からの解放という意味もある。ナポレオンが侵攻するはるか以前から、ロシア人の頭の中を侵攻してきたおフランス的な自由主義や個人主義が、ロシアの魂を蝕んでいたのである。

つまりは、エレンやアナトールのおフランス直輸入の享楽的個人主義とそれに伴う道徳的退廃が、ドジっ子ロシア人のナターシャに感化を及ぼし、それが、アンドレイとの婚約破棄の間接的の原因となっている。

『エレンの感化で、今まで恐ろしく思えていたことが、簡単で自然に感じられた。』(P.407)

『燃えるような唇が彼女の唇に押し当てられた。そして、その瞬間に彼女は自分がまた自由になったのを感じた』(P.413)

これがおフランス流の自由主義であり、個人主義である。パウダールームでアナトールとキスして感じたナターシャの「自由」とは婚約してても自分が自由だと思うなら、浮気しようが、何しようが「自由」であるという思想である。

こういう浮薄なおフランス流に対応して、ボルコンスキー老公爵の陰険かつ反動的な、ロシア的保守思想が燃え盛るのだが、その老公爵も、フランス人コンパニオン、マドモワゼル・ブリエンヌに頭にやられたふりをしてマリアをいじめ抜くのがなんとも恐ろしいのである。さらにパジャマ姿で一芝居打って神の名を語りながら、無礼をはたらくというというボルコンスキーパパの老獪さがたまらない。手のこんだ嫌がらせは、見ている分には面白いが、やられたらこたえる。


「お前たちのいるところには堕落が、悪がある」 (P.466)


ピエールは、腐ったリンゴの方程式みたいなエレンの頭に巣食う、おフランス思想からロシアの魂を救い出すという、思想上の大祖国戦争をおおっぱじめるのである。

ピエールは腐ったリンゴ、ナターシャを救えるのか? この若いリンゴをそのまま腐らせてしまうのか?

(おわり)

読書会の模様です。


お志有難うございます。