吉行淳之介『原色の街』読書会 (2020 10 16)
2020.10.16に行った吉行淳之介『原色の街』読書会のもようです。
私も書きました。
無理心中 ウォーターシュート 日本の夏
(引用はじめ)
自分の立っている地点から一瞬の間に消失してしまいたい、という気持ちが烈しくあけみを捉えた。どういう動作をしようというはっきりした意識はなかったが、彼女の軀は一つの塊となって、正面から元木英夫にぶつかって行った。あけみは、その咄嗟の間に男の体臭を感じた。
不意をつかれた彼の軀は、あけみと縺れ合って、柵の外の空間に投げ出された。
腰にしっかり取縋っている女の腕を感じながら、何のためにこんなことになったのか、彼にはまったく理解できなかった。(P.134)
(引用おわり)
あけみの側からの突発的な巻き込み自殺である。ただ、両者の同意があれば、心中であるが、同意がないので、要するにこれは、あけみによる無理心中である。男女の無理心中というのは、この世で結ばれないことを憂えて、来世に一緒になることを義理立てするために、現世でとりあえず気合を入れて一緒に死ぬことだ。封建社会では、結婚は家と家の契約であるので、身分上結ばれないケースがあった。だから、無理心中が江戸時代から文芸のテーマになっている。海外では、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』である。代々敵対する家に生まれたロミオとジュリエットが恋に落ち、結果的に無理心中にみたいな非業の死を遂げるという筋書きで、悲劇の古典になっている。
日本社会には、世俗の秩序という意味での『世間体』という制約がある。赤線地帯は、世間体の埒外であるから、世間では恥ずかしいとされることが、金銭を媒介にしておおっぴらに許されていた。結婚は世間体であり、婚姻関係は民法で規定されている。一方、売春は赤線廃止までは、管理売春として、実質人身売買の可能性はあったが、刑法上のお目こぼしを受けていた。親に売られて赤線に来る女性もあったろうが、あけみは、人身売買で売られてきたわけではない。ただ、戦争によって没落し、世間の男の目に追い立てられ、キャバレー勤務から流れ流されて、赤線やってきたのだ。
(引用はじめ)
元木英夫が隅田川東北の街に出かけてきたのは、同僚の望月五郎に誘われたためもあったが、一つには、昨日から彼の軀に淀んでいる滓のようなものを、拭い去ることが出来るかもしれぬという気持ちも動いたからだ。
昨日の夕方、元木英夫は「見合い」をしたのである。(P.24-25)
(引用はじめ)
元木の「軀に淀んでいる滓のようなもの」は世間体を強いられた抑圧のことだろう。「生きていること自体が間違いだ」(P.26)という結論に至るような種類の鬱屈から逃げるために、娼婦のあけみと関係を持った。一方、あけみも、薪炭商の男に見初められ、落籍される条件としてある世間体を強いられた。そこから逃れるために、発作的に元木英夫と無理心中しようとした。
元木英夫も、あけみのアタックの前に、瑠璃子の母と瑠璃子の後ろ姿の世間体の抑圧を感じて、それを自嘲でごまかしながら、無感動無関心の方へ自分を押し流していた。あけみが、自分のヌードを公にすることで自傷するように、元木も世間体のために瑠璃子との関係において自分の精神の一部を麻痺させている。
元木とあけみの関係は精神的な共依存である。兄妹のように似ていると指摘されるのは、そのためだ。娼婦を刺した職人の挿話は、あけみの無理心中の引き金になっている。薪炭商の男は、職人の男のように元木を刺しはしないが、元木は、あけみによるウォーターシュートで、殺されかけた。その後の彼の世間体は丸つぶれであるであるが、死んだ海軍予備士官の後釜として世間的体裁のために瑠璃子と見合いさせられ、傷ついていたかもしれない彼の精神は、もしかしたら、あけみの無理心中によって、救われたのかもしれない。
(おわり)
読書会のもようです。
お志有難うございます。