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太宰治『千代女(ちよじょ)』読書会 (2023.6.16)

2023.6.16に行った太宰治『千代女(ちよじょ)』読書会のもようです。

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朗読しました。

青空文庫 太宰治『千代女』

私も書きました。

「信州読書会に、天才文学少女現る☆」

 

1920年代の日本には、大正自由教育運動というものがあった。

 明治維新以降の近代化の中で、国民国家の構成員たる意識を植え付けるための画一的な詰め込み教育が行われた。それは、同時に机に長時間ついて、労働者と兵隊としての忍耐を学ぶという教育でもある。そのような国家主義的な教育から脱却し、生徒の自主性を尊重し、生徒自らがアクティブに学んでいく教育に変えようというのが大正自由教育運動である。中学校以上の男女が机を並べて学ぶ、という共学もここからはじまった。

 大正になって欧米近代国家並みの政党政治が、日本でも行われるようになった。憲法発布、国会開設によって近代国家としての民主的制度が形式上整い、日清日露戦争にも勝利して、列強の仲間入りをしたのち、国民自らが普通選挙運動や、社会主義運動などに関心を持つようになった。一部インテリには、リベラルデモクラシーを教育の上でも実現しようという機運があった。その流れの中で、欧米の影響を受けて現れたのが大正自由教育運動である。

国民国家の担い手たるリベラルな市民を育成するための教育である。

 その中に生活綴方運動がある。『千代女』で取り上げられているような、小学生の自然主義的な作文を奨励する学習推進運動である。小学生の視点で現実を観察してそのままを文章に書き起こすという営みが、生徒の自主性と情操を育み、デモクラシーの担い手たる市民意識の育成につながるということである。要するに、子ども白樺派である。

 太宰治は、この生活綴方運動に違和感をおぼえていたのだろう。強烈に揶揄する意図で、この作品は書かれている。本作において、天才作文少女としてもてはやされた少女を、大人の虚栄心を満たすためのおもちゃではないか、と太宰は疑っている。

 道を尋ねたら片言の日本語で、一生懸命春日町までの行き方を教えてくれた朝鮮人労働者の心根の温かさを書いた作文を褒め称えるというような綴方運動の機関紙『青い鳥』の選者たちの思惑はどのあたりにあったのだろう。

私が考察するに、当時の日本の階級構造からして、日本に併合された朝鮮人の立場は、児童の目から見てどう映っているのかという、生々しい感情が、素直な筆致で持って描かれているから尊いというような、選者側の、一見リベラルだが、よく考えれば偽善的な傲慢というか、身振りだけの階級闘争意識、主人持ちの社会主義リアリズムへの無批判な傾倒、などなど見え隠れしているとしか思えない。

 

和子の作文には、政治意識に芽生えていない素直な児童の目に移る社会の矛盾が、ストレートに描かれている。しかし、児童の純粋さを利用して、逆に社会の矛盾を際立たせるといった、こういう作為的なものが綴方運動ならば、これは左翼が児童を隠れ蓑に行う社会主義的プロパガンダじゃねえか、児童の政治利用じゃねえか、児童の綴方が出版されて、ベストセラーになり、天才少女と囃し立てられ、あぶく銭を稼いで、二匹目のドジョウをさがせば、おニャン子や坂道グループなどのアイドルの楽曲プロデュースする某先生とやってることがかわらないじゃねえか、というのが太宰の鋭い批判だ。私も太宰の批判に首肯する。

 だいたい、リベラル気取る知識人は、ええかっこしいが多い。彼らは、和子やグレタさんを甘やかしすぎだ。グレタさんだって、本当は、こたつという化石燃料の眠り箱でぬくぬく温まって、いぎたなくみかんでも食っていたい平凡で怠惰な少女なのかもしれない。それはそれとして、しかし、太宰はそのような「ええかっこしい」リベラルとは一線を画すような毒があるのである

 太宰の巧妙な点は、文学者崩れの柏木の叔父さんという自分の分身キャラを創作したことにある。柏木を通して、大正自由主義生活運動を実践する大人たちが、功名心やエゴにとり憑かれているということを、暴いている。学校を辞めたのに、和子に家を訪れて家庭教師を申し出る沢田先生の哀れな姿は、私も、身につまされた。私の開催する読書会の意図が、大正自由教育運動のような偽善的リベラル仕草のアクテヴィティだとすれば、主宰者である私の意識の奥底には、柏木の叔父さんや沢田先生のような助平心がうごめいているとみて、皆さん、間違いないのである。万年文学青年たる柏木の叔父さんが、天才少女和子をプロデュースして、一発逆転したいというのと同じ助平心を、私も、もっていないわけではない。だが、太宰は、そういう助平心を、自己批判的に描いている。そこがすごい。いわゆるパンツを脱いだ、というやつだ。

 私はいまのところ文才のある天才少女を売り出してプロデューサーづらしたいなんて、つゆ思わないが、いつか焼きが回って、そういうことを真剣に思い。実行する日が来るかもしれない。

 

「信州読書会に 天才文学少女現る☆」

 

とりたてて文才もない少女を、各メディアに、私が必死で売り込み、YouTubeチャンネルをプロデュースし、私が彼女の書くものしゃべるもの、すべて企画して、代筆するのである。そして、彼女が、有名になったあかつきには、その物語をベースとして、浜辺美波主演で、『綴方教室』のリメイクを撮り、それでもってカンヌに乗り込むだろう。

 その時は、皆さん、いままですでに、私に対して無意識の奥底でうっすら募らせていた反感とともに、左手に隠し持っていた石を、ここぞとばかりに私に投げつけてほしい。

 残念ながら、私がそんなことしはじめたときには、手遅れかもしれないが……

 (おわり)

読書会のもようです。


お志有難うございます。