森鷗外『普請中』読書会 (2023.5.12)
2023.5.12に行った森鷗外『普請中』読書会のもようです。
私も書きました。
チューしたら、俺は、俺じゃ、なくなる
『普請中』は、渡辺の復讐劇である。
『ヰタ・セクスアリス』の主人公金井のミュンヘン留学時代の思い出に、バーのトイレで追っかけてきたドイツ人別嬪にいきなりキスされて名刺をもらうシーンがある。この別嬪は地元のチンピラの情婦で、質に入れた衣装を受け取るために、金井と寝たのである。もちろん金目である。金井は留学仲間を驚かすため、別嬪が金目であることを黙っていた。俺、日本ではモテないけど金髪にはモテるんだぜ、という、なかなかのクソダサムーヴである。アジア人の西洋コンプレックスが垣間見える秀逸なエピソードであった。
『普請中』元カノへの冷たい仕打ちは、『ヰタ・セクスアリス』において金目で自分を口説いてきたドイツ人情婦への復讐があるような気がした。
どういうことか説明しよう
森鷗外の『舞姫』では、父親の葬儀代がなくて困っていた貧しい踊り子のエリスを、情にほだされて助けて、付き合ってしまい、妊娠させた挙げ句に捨てて、官吏として日本に帰国するクズ男が描かれていた。そして、『普請中』は『舞姫』と『ヰタ・セクスアリス』の後日談である。
ドイツ留学時代の元カノのドイツ人歌手が、ドサ回り興行で日本へでやってきて、向こうから、渡辺に逢いたいとアプローチしてきた。
渡辺は、今でいうところのキャリア官僚である。はるばるやってきたのだからと、一席設けてやることにするが、何しろ、日本はまだ発展途上であって、ドイツのような洗練されたレストランがない。ないことはないが、玄関には靴の泥を拭う雑巾があり、装飾品の趣味は悪く、給仕もサービスがなっていない。ノックもせずに個室に入ってくるような野暮天である。
つまりは、日本は、まだ、近代国家としても文化的にも、建設途上、つまりは「普請中」なのである。
そして、その普請中のニッポンの官吏である渡辺は、相変わらずのクズ男ではあるが、国家的目的に自己を同一化して、日々忠勤に励んでいる。
政治学者丸山眞男の『超国家主義の論理と心理』という論文が、渡辺の内面を説明する上で非常に役に立つ。
国体の流出としての官僚機構への忠勤義務に支配されたる渡辺の脳みその中では、捨ててきた彼女との初々しい恋の思い出は、すでに過去の思い出として完全にコーティングされており、焼け木杭に火が付くような感情のせり上がりなどは、ありえない。
なぜありえないかというと、渡辺は、普請中の日本国家と自己を同一化した超国家主義強化人間だからである。
元カノが、肘をついた姿勢で、じっと見つめても、チューしていい? とモーションかけても、旅の道連れのポーランド人のことで嫉妬してくれないのね(ぷんすか!)というかわいらしいセリフを放っても、それらは、焼け木杭を燻らせるほどの火力がなく、国家の忠勤義務で湿って、冷めきった渡辺の心を奮い立たせることはない。
元カノのほうは、じっと見つめて、目の暈(くま)で同情させて、今では指環も回るほど、痩せてやつれた姿で思い出を語れば、どーせ渡辺の感傷的な気分が刺激されて、旅費の足しにと金でも貸してくれるかと、甘っちょろい期待を抱いていたのだが(大方、日本人をなめているのだろう)、とんでもない、冷徹な超国家主義強化人間に変貌していた元カレ渡辺は、相方のゴジンスキーに乾杯という皮肉でもって彼女のなめきった期待を粉々に砕いたのである。
アテが外れて、元カノも、ぶるぶるふるえざるをえない。
まず、渡辺には、Barのトイレでいきなりチューしてきたドイツ人との経験から、薹(とう)が立ったドイツ女はつまるところすべて金目だというシビアな認識に到達していた。さらに、アジア人ゆえの劣等感で金目ドイツ女にまんまと騙されたが、自分を欺いてこのすっこけエピソードを自慢話にすり替えていた若き日の己へ自己嫌悪が今もなお、くすぶっていた。
これらをもって、はるばる日本にまでやってきて、なつかしげな作り笑顔で現れた元カノに、なんのてらいもなくネチネチと塩対応を炸裂させることで渡辺は、復讐を果たしたのである。
江戸の仇は長崎でといったところである。
この復讐劇に、感傷の余地を残さないため、本作では、渡辺の超国家主義がとどめを刺してくるのである
もうチューなんてしない。チューしたら、売れない外タレの元カノに、いくらか包んで渡さなきゃいけなくなる。それも情人と一緒に興行に来た元カノにである。よーく考えれば、いくらなんでも俺はなめられている。ニッポン人の俺がなめられるのは、普請中のニッポンがなめられることだ。チューしたら、俺はニッポンを裏切ることになる。
渡辺の頭に去来した論理は、つまるところ以上のようなものである。
チューはダメ。チューしたら、俺は、俺じゃ、なくなる。
エリスに流された昔の俺と一緒で、中途半端な情に流されたら、せっかく築いてきたキャリアを失う。
「ここは日本だ」
この拒絶は、アジア人の西洋コンプレックスを克服すべく苦悶してきた渡辺の矜持から発せられる。
はるばる訪ねてきた女をさみしく泣かせても、普請中だからしゃーないのだ。愛国心ゆえなのだ。
銀座通りのいくつものガス灯ののなかに、クズ男の愛国心が欺瞞として燃え上がり、その間を、あてが外れて独り去っていく元カノのわびしさよ。
このコントラストが、この復讐劇の傑作たる所以である。
(おわり)
読書会のもようです。