太宰治『風の便り』
昨日『風の便り』で読書会をしたのだが、この部分に触れるのを忘れてしまった。
「先生と言われるほどの馬鹿でなし」という言葉がないが、相手との直接の関係も築いていないうちに相手を「先生」呼ばわりするのは、何かしら「計算」があってのことだろうと思う。
宿で直接対決して、関係性を築いてから「だんだん先生とお呼びしても、自分の気持に不自然を感じなくなりました」と木戸一郎はいう。
「私は、これから、こだわらずに、あなたを先生と呼ぶ事が出来そうです。」
これは木戸一郎の白旗なのか?
先生であるとかないとか、自分と相手を秤にかけていてつまらない、と、木戸一郎が、はっきりとどめを刺されていて、厳しいなと思った。
(おわり)