読書日記(2023.11.9) 近江散歩
農家の女性たちが、あやめ祭りのシーズンになると、船を漕いで、観光客を案内するのである。
絣のモンペみたいなお揃いの衣装である。日に三万稼ぐこともあるという。
農家の女性たちは、月に一度、弁天様を祀る女性だけの食事会を行なっている。
持ち寄ったものを食べながら交流するのである。新しく嫁いできたお嫁さんは、そこで、農家のネットワークに組み入れられる。
食べ物は、質素だし、化粧っ気はないし、前掛けつけているだけだし、チリチリパーマだし、主婦の方々は、農家の労働力という感じだが、みんな生き生きしている。
今から44年前である。私の生まれた頃だ。消費財はないが、活気がある。
自分が子供だった頃の新日本紀行を見ると活気のあった、まだ昭和の文化がしっかり残っていた頃の、日本らしい画一化していない地方の街並みが見られるので、懐かしい気分になる。
当時船頭をしていて、映像にも出演していた女性が80代になって、まだお元気で最後にインタビューを受けていた。
あやめ祭りの船も船頭は男だけになり、船の数も10隻くらいに減ってしまった。
ある飲食店の女将が、女性船頭として今年から、その80年代の先輩から譲り受けた船頭の衣装で、船を漕いでいた。
観光地ということで、生活ゴミが浮かんでいると幻滅されるので、一生懸命清掃もしていた。
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女優の門脇麦が、司馬遼太郎の「街道をゆく」を頼りに、安土城や近江八幡を尋ねるという番組。
私もこのあいだ安土城と近江八幡に行ってきたので、事前に録画しておいたものを答え合わせのつもりでみた。「街道をゆく」も文庫でほぼ全部持っているのだが、積ん読でどこにあるかわからない。
私も行って知ったのだが、安土城は琵琶湖の中にあった水上の城なのである。
司馬遼太郎は小学生の時(なので戦前だろう)安土城にきて、城の上からの琵琶湖の美しい眺めに乾燥したそうだが、この「街道をゆく」の雑誌の連載のために安土城を60年代終わりに再訪して、城の周りが干拓されて赤茶けた土で覆われているのを見てがっかりしたそうである。
今は美しい水田になっている。
私はくたびれていたので、安土城に登らなかったが、石仏が階段の材料に使用されており、石仏を踏んで登る石段がある。
信長の確信的な罰当たりである。
(おわり)