アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』読書会 (2023.1.6)
2023.1.6に行ったアベ・プレヴォー『マノン・レスコー』読書会のもようです。
私も書きました。
恋・ロックンロール・そして、砂漠
物語は、語り手の男が、マノンと渡米しようとしているデ・グリュウに出会い、彼になぜだか一方的に好感を抱いて、金銭を支援するというところからはじまる。赤の他人に好感を持ち、金銭を支援するという、なんとも虫のいい話が、この後も延々と続くのである。友人のチベルジュも、都合のいい男である。
語ることの最低のリアリティ維持しようとすれば、こんな都合の良い人物ばかり出てこないし、最低限の伏線を張って、回収するくらいの展開はすべきだと思うのだが、この小説は、ネタ振りも回収もない、独善的な語りで、ドタバタ劇がどんどん進行していくのである。
マノンには一貫した性格がない。なんだか考えていることがよくわからない美少女である。とにかくモテるので、他の男がほっておかない。しかも、浪費家で、見境なく金を使ってしまう。そんな美少女に恋してしまったことが、デ・グリュウのアルファでありオメガである。
恋愛で我を忘れているというのは、頭の病気である。正常な判断のできなくなったデ・グリュウの異常な心理と行動を延々と聴かされているとしか思えないのだが、この情緒の過剰な吐露が、ロックンロールのリズムのように、人間精神をジャックして、読み手のヘッドバンキングを誘うのだろうか。
冷静に読めば、推しのマノンに入れあげすぎて、一人の男が破滅するというだけ話である。
この作品は、ごく主観的な語りで構成されており、同時代の政治も文化も社会環境も、ストーリーの背景として存在しない、我々が生活しているような世界の背景が要素がごっそり抜けおちていて、書き割りの前を、裸の男が、走り回っているかのようである。
なんの教養も感じさせないこの語りが、なぜ古典たり得るのか、不思議なほどである。
山下達郎氏がロックンロールの定義を、ステージの上で動き続けることと断言していた。
その意味で、デ・グリュウも、ロックしている。純情で、不器用で、一途な男のシャウトである。
最後は、デ・グリュウが、アメリカの砂漠の真ん中で、マノンを看取る。
なんで砂漠なのか。
ロックの果てにあるのは荒涼とした砂漠なのであろう。
社会に中指を立てるものは、やがて、社会から追い立てられて、砂漠にたどり着くのだろう。
(おわり)
読書会の録音です。