雨を呼ぶ鳩の声
陸游(りくゆう 1125~1210)という詩人の漢詩を読んだ。
中国北部が金という北方民族に支配された南宋時代の詩人である。
この人は、何とかして洛陽を奪回すべく主戦論を張っていたが、政治的には不遇であった。
仕官して、各地を転々として、最後は隠遁生活していた。
中国の詩人の中でもかなり作品が残っている。
読んでみてどう思ったか。
鬱屈しているのである。
こんな鬱屈が1000年も前にあったことに何だか慰められた。
詩の一節を紹介したい。「定拆號日喜而有作」の最初の二行である。
小雨如絲落復収
悄無人後但鳴鳩
小雨 糸の如く落ちて復(また)た収(おさ)まる
悄(しょう)として人語無く 但だ鳴鳩(めいきゅう)のみ
岩波文庫版の訳には、
絹糸のような小雨が降ってはまたやみ、
ひっそりとして人声もなく、雨を呼ぶ鳩の声だけが聞こえる
とある。
「雨を呼ぶ鳩の声」というのが、いいなあと思った。
曇天模様で小雨のちらつくの日曜の朝方に、キジバトが鳴いている感じ。
出勤する車の音もなく、雨なので、人気もない
静かなので、「ほーほーほーっほほー」と鳩の鳴き声がよく響く。
鳩の鳴き声の底に諦観が伝わってくる。
これは現代でも、十分通じる。
曇天にむかって、鳩が、雨を呼んでいる(呼んでなどいないだろうが)
という感じも、わかりみが深い。
(おわり)
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