私の決意表明-赤ペンの恐怖からの脱却-
中学3年生。高校受験が迫る。
私は返却されたばかりの小論文課題を前に、真顔で燃えていた。自信にあふれた右上がりの文字に、赤ペンで二重線が引いてある。原稿用紙の上では、四角欄の中にぴっちり納まった偉い子を無視するかのように、デカくて狂気じみた赤鬼が力の限り囲い込んでいると見えた。「これ、返すね」と言ってこちらに目もくれず、その凶器を手渡してくる塾講師。正気か?
書かれた文言の意味はわかるが、何がいけなかったのかわからない。私の脳みそは思考回路を順序良く辿ることをやめ、赤ペン修正を受け入れることを拒否した。頭の中で虚しく散った火花は、その姿を誰にも見せずに息を止める。私にとっては、文章を書いて批評されるのも、恥をかくのも初経験。今までの「褒め」られた記憶がすっ飛んだのは言うまでもない。
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就活をしているとESと呼ばれる第一関門に度々出くわす。
構成さえわかっていれば、受かるコツさえおさえれば、「誰でも書ける」と言われても、私にとっては逆効果だ。だって、
「このESを〇、△、✖で表すなら、✖寄りの✖だね」と最近ある人から言われた。普通なら「え...嘘?!」という反応をするのかもしれないが、私はこう思った。
これまで何度か内容を書き直しているが、相手は採用のプロだったわけで。Zoomに映った私の顔は「まあそうだよね」の表情をしていた。もう感覚が麻痺していたのか。
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あの中学3年の春。2時間半の講義後に夜中まで塾で指導を受け、何度も書きなおした。夏休みには、志望校の過去問を解いて職員室やらテニスコートやら走り回り、先生に添削をお願いした。一度は拒否しかけた赤ペンを、私は素直に受け入れた。「これは文章力じゃない、書き方さえわかれば赤ペン修正も減る」と言い聞かせながら。
でも、私は秋になって限界を迎える。
「成績順で並んでいるのに何故1番前の君がこれを解けない」
「休み時間なのに勉強してるの?えらいね」
「面接中足が開いてるのが気になった。気をつけて」
他人の言うことに振り回されそうになりながら、それでも頑張らなきゃと柵の見えない檻の中で耐えていた。
塾に向かって自転車を漕いでも、重いおもりを引っ張る受刑者のように、思うように動かない。不思議そうな顔で抜かしていくおじいさん。散歩かな。いいな。青に点滅したずいぶん先の信号機の前で待ってくれている友達。ごめんね、はやく行かなきゃ。
毎日朝から晩までペンを握っているのに終わらない宿題。自分が情けなくて、他人が羨ましくて嫉妬して、夜中の3時に泣き崩れる。そんな日もあった。
この時の担当の講師は優しい人だった。笑顔で聞いてくれるその人に戸惑い、申し訳ないと思いながらも、私ははっきりと伝えた。
塾はやめなかった。けれど私は小論文試験を諦め、志望校も一つ下げたうえで一般入試に専念することにした。それからというもの、私の成績は上がることも下がることもなく、締め切り前に滑り込みで書き足した第二志望の高校に合格した。
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あれから6年経った現在。就活生の私は、見えない赤ペンに震えている。
選考に通過してもしなくても、添削として返ってくることはない。
提出した私のESは、赤ペンで濡らされているのだろうか。
はたまた即レスならぬ即ポイか。
きっと赤ペンを持つ時間すら無いんじゃないだろうか?
これが、赤ペンの恐怖に立ち向かう、私の決意表明である。