十七歳
こんにちは〜。
今日は日記ではなくて、宣伝にきました。
短編を書きました。「カクヨム甲子園」内の「きのう、失恋した」というテーマで参加させていただいています。
私にとって十七歳は特別です。なんせ、彼女がナンバーガールを初めて聞いたのは十七歳のときですし、手首を切ったことを自慢気に話す白い服を着てるあの娘は十七歳ですからね。
私の十七歳はもう終わってしまいましたが、あのときの悩みも、痛みも、焦燥も、青さも、くだらなくはあっても、かけがえのないものであったと思います。
以下は、カクヨムに掲載した近況ノートからの引用です。
「大人になりきれない人たちは、きっと心のどこかで、『思春期にしがみついて感傷にひたっている自分』を、みじめに思うことがあるんじゃないかなあ、と思うんですよね。
進路を含めた将来のこととか、みんなちゃんと見据えてから今日の行動を決めていて、それに比べて私と来たら、いつまでも小さなことに心を動かされて、くだらないことに執着して、その日暮らしの生活を続けている。こんなんでいいんだろうか、みたいな。
でも、いいと思うんですよね、べつに。だって、この感傷にひたれる時間って、今しかないんですよ? たぶん、四十歳くらいになったら、感性が今とはかなり変わっていると思いますし。今、自分が悩んでいることや、気にかかることがあったとして、それに悩めるのは、今だけなんですよ。
そんなのやらなきゃ損じゃないですか。
という感じのことを考えながら書きました。感傷にひたる自分を思って悦にひたれるのは、思春期にしがみついている者の特権なので、どうせなら楽しんでしまいましょう。」
大体、「大人」っていうのも、よくわかんないですよね。成人した今でもよくわかりません。周りが自分がことを「大人」だと認識し始めたら大人なんでしょうか? 私の中では、「今の私」は、生まれたときから地続きの私でしかないのに、一体どこに、大人と子供の境界線があるんでしょう。
そんな感じのことばっか考えてる、大人のなりそこないの私は、今日も元気にその日暮らしです。夏休みは終わってほしくないし、人ごみは怖いし、外に出るのは億劫だし、同調圧力につばを吐いて生きています。
十七歳は、今しかない。秋の夜長ならぬ、夏の夜長の手遊びにでも、読んでいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
(8/21 加筆修正)
サポートをすると、特に何も起きませんが、どこかから視線を感じるようになります