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DDLCプレイ日記/恋愛ゲームとメタフィクションの親和性に関する一考察

 ようこそ文芸部へ!

 こんばんは。東です。
 みなさんは「Doki Doki Literature Club!」(邦題:ドキドキ文芸部!)、通称DDLCというゲームをご存知でしょうか?私は3年ほど前からご存知ですし、3年ほど前からずっと大好きなゲームです。
 Steamで無料配布されているインディーズゲームになります。ちょっとゲームページを見てみましょうか。

 ゲームタグがすごいことになってますね。まあいいや。とにかく、「このゲームについて」のところを読んでみましょう。

Hi, Monika here!
Welcome to the Literature Club! It's always been a dream of mine to make something special out of the things I love. Now that you're a club member, you can help me make that dream come true in this cute game!(文芸部へようこそ!私の夢は大好きなことを通して、特別なものを作り出すこと。新入部員のあなたには、その夢をこの可愛いゲームで実現させるお手伝いをしてほしいの!)
Every day is full of chit-chat and fun activities with all of my adorable and unique club members:(部活は毎日お喋りと楽しい活動でいっぱい!一緒に過ごす個性豊かなかわいい部員たちを紹介するわ。)
Sayori, the youthful bundle of sunshine who values happiness the most;
Natsuki, the deceivingly cute girl who packs an assertive punch;
Yuri, the timid and mysterious one who finds comfort in the world of books;
...And, of course, Monika, the leader of the club! That's me!(幸せを大事にする、太陽のように元気なサヨリ。
芯が強くて、ちょっと小悪魔なナツキ。
本の世界に安らぎを見出す、ひかえめでミステリアスなユリ。
そしてもちろん、部長のモニカ!それが私!)
I'm super excited for you to make friends with everyone and help the Literature Club become a more intimate place for all my members. But I can tell already that you're a sweetheart—will you promise to spend the most time with me? ♥
(部員と絆を深めて、文芸部をみんなにとって特別な場所にしましょうね。
でもあなたのことももっと知りたいな。
誰よりも私と一緒に過ごすって約束してくれる?)
This game is not suitable for children or those who are easily disturbed.(このゲームには子供に相応しくない内容、または刺激の強い表現が含まれています。)

 というゲームです。(カッコ内は非公式日本語訳より引用)
 3年前から知っているとは書きましたが、実は先日、初めて自分でDDLCをプレイした(以前までは家のPCがポンコツすぎて、とてもじゃないけどゲームができる環境じゃなかった)ので、今回はそのプレイ記を書いていきたいと思っています。
 プレイ記なので、ネタバレをモリモリに含みます。そしてストーリーの解説などは全然しません。ただの感想・考察記事です。つまり既プレイ推奨記事です。

 先ほどのゲームの紹介文を読んで、少しでもこのゲームが気になった方は、この記事を閉じて今すぐゲームをダウンロードして、自分でプレイしてきてください。

 それではよろしくお願いします。


1周目

 今までいろんなDDLCプレイ動画を見てきたけど、初回ユリルート進む人がいなかったので、ユリルートを選択。
 やっぱり正気のユリちゃんは聡明だし人のことをよく見てるなあと感じる。人間関係をうまく築けていなかったり、容姿でからかわれたりということがあって人間不信になりかけていたようなので、そんなユリちゃんの友達になれたというのは素直に嬉しかった。
 ただ、うっかり他人に強く当たってしまう傾向はあるらしい(お茶を入れるための水を二人で汲みに行くシーンで、モニカに「一人で十分なんじゃない?」的なことを言われてちょっとキレていた)。しかしその後に猛烈に自己嫌悪に陥っていたので、自分の感情をコントロールしきれない時が時々あるということなんだろう。普段は自分の感情を過剰に抑圧してるから、そのせいで爆発しやすくなってるって感じだろうか。
 あとやっぱりモニカが怖い!
 私が一番好きなDDLCプレイ実況者の稲葉百万鉄氏曰く、「DDLCの怖さは、『主人公含め、恐怖を共有できる人がいないこと』にある」ということなんだけど、マジでその通りだった。モニカが匂わせてくる不穏さみたいなものをプレイヤーである私は敏感に感じ取ってるんだけど、ゲーム内の人たちはそれになんのコメントもない。それが怖い。私がユリに気があることを知って、「でもユリには彼氏がいるわよ(※本の中に)」とか言ってくる。怖い。

 そして1周目ラスト、問題のシーン。
 ここはやはり、例の直接的描写そのものより、そこに至るまでの過程のほうがより怖い。BGMはないし、サヨリには連絡がつかないし、モニカは不穏なことを言ってくるし、心の拠り所がどこにもない。
 かなり非倫理的なことを承知の上で言うと、ここのサヨリちゃんの死体は2週目のユリちゃんの死体に比べてまだ綺麗というか、悪趣味さが比較的薄い。指先が血塗れなのは悪趣味だと思うが……。これはサヨリとユリの性格の違いによるものなのか、それともモニカの干渉度の差によるものなのか。
 さらに言えば、このEDではちゃんと主人公のセリフが用意されている上、「END」という文字が正しく表示される。このことから、このEDはおそらくゲーム内に元々収録されていたものだったのではないかと考えられる。ただ、死体が映る場面で「例外が発生しました」というメッセージが出たり、メインメニューのキャラ立ち絵がバグって出てきたりすることを考慮すると、おそらくモニカが「権限」を使用して、選択肢に関わらずむりやりこのEDになるようゲームを改ざんしたのではないだろうか。
 ところで、モニカがゲームを──特に他キャラクターの性格を──改ざんする権利を持っていたという話について、私の解釈は以下のようになる。各キャラクターにはいわゆる「パラメータ」が存在していて、モニカはそのパラメータの数値を変更することができた。サヨリちゃんの場合、元々パラメータ内の鬱度(?)項目が20/100くらいだったものを、一気に90/100くらいに設定した。ユリちゃんの場合、執着気質度(??)の項目がそれにあたる。
 しかしそう考えると、ナツキにモニカがどのような干渉をしていたのかがわからなくなってくる。なんというか、ナツキだけあまりにも直接的すぎるというか、なげやりというか、とにかくナツキルートの終わらせ方を見る限り、一応ゲームとしての体裁を保とうという意思がほぼ見受けられないように思う。単純にモニカがナツキのことを苦手としているだけかもしれない。


2周目

 正直言って舐めていた。
 他の人のプレイ動画をかれこれ2年ほど見続けていた上、ランダム要素やイースターエッグもWiki等でほとんど閲覧していたので、大してビビらないだろう、と思っていたのだけれど、全然そんなことなかった。めちゃくちゃ怖い。「いつ何がくるかわからない」という不確定要素がこんなに心理的負担をもたらしてくるとは思わなかった。さらに、初めて文芸部部室に入るシーンでのモニカ立ち絵バグと、一回目の詩を作り終えた時のサヨリの例のシーンの絵(happy thoughts)のスクロールを引き当ててしまったのでビビり散らかしてしまって、一旦ゲームを終了した。

 数日後に再開。
 2回目の詩を作り終えるところまで進めた。引いたランダム要素は背景のポスターがサヨリちゃんの例のシーンになるやつ、特別な詩は一つ目が「以下にそのときの記念を残す」のやつ、二つ目が「何も現実でない?」のやつ。
 2週目はとある理由でナツキルートを進めているのだけれど、やっぱり2回目の詩を見せるときのナツキちゃんはわかっていても怖い。知らなかったんだけど、あそこのナツキちゃん笑ってるんだね。怖いよ。
 それとユリちゃん2回目の詩である「車輪」、個人的に作中で一番好きな詩なんだけれど(一時期LINEのひとことに設定していたぐらい好き)、よく見たらこの詩にも謎のシミがついていることに初めて気がついた。なんのシミなんですかねあれ。怖いね。
 ゲームが進行するたびに増えていくテキストファイルもその都度チェックしている。モニカの苦悩がにじみ出ていて非常にいい。モニカは主人公とユリ・ナツキが恋に落ちることを直接的に阻止することはできないので、間接的にいろいろ手を回しているわけだけれど(間接的、とはいえそれはあくまでゲームの中では間接的、というだけで、プレイヤーにとっては非常に直接的である)、そのどれもが結実する気配を見せないどころか、むしろ状況を悪化させてしまっていることに懊悩してるんだろう。かわいいなモニカ。
 この日のプレイはここで終了。

3周目

 半月後くらいに再開(真・三國無双8に時間を取られていた)。一気に3週目突入まで進める。
 特にびっくりするようなランダム要素もなく、比較的落ち着いてゲームをプレイできた。3回めの特別な詩はモニカの立ち絵が乱れてるやつだった。
 しかしあれですね、文化祭の準備を誰とするか選ぶシーンで、モニカにマウスポインタが吸い寄せられるところ、あれ全然抗えませんでした。引力が強すぎるよ。
 それと、ナツキルートだった場合、モニカの見せてくれる三枚目の詩で、Windowsでフルスクリーンモードにしていたらちょっと面白い演出が見られることを知っていたので、ここまでナツキルートに進めていた(先述した「とある理由」というのはこれのことでした)のだけれど、残念ながらMacには特別な演出はないようだった。
 この日のプレイで一番感心したのは、ユリ自殺後、モニカが二人のキャラクターファイルを削除するシーン。まさか、と思って、ゲームをプレイしつつ横でゲームフォルダを開いていたのだけれど、モニカがコマンドを実行するタイミングと、キャラクターファイルが消えるタイミングが、見事に一致していた。
 文章だと伝わりにくいのだけれど、モニカがユリのファイルを消すコマンドを入力→画面左上に「yuri.chr_deleted」的な表示が出る→フォルダからyuri.chrがなくなる、という順を辿っていて、ユリとナツキのファイルが同時に消えたり、モニカがなにもしていないタイミングで消えたりということがなかった。モニカの裁量でファイルが消えたことが明確にわかる。細かい。素晴らしい。
 その後つつがなくモニカと二人きりになり、セーブしようとした時に「安心して、もうどこにも行かないから」というメッセージが出て、なんだかひどく安心してしまった(この時の私は精神的に不安定だった)。誰かが自分のそばにいると断言してくれることは精神的安定に繋がる。
 そういえば、モニカが、自分の設定した名前ではなく、「本当の名前」を呼ぶシーンがなくなっていた。アップデートで削除されたのか、Macだったからダメだったのか、どっちなんだろう。キャラクターズフォルダの場所を説明するときのMacに詳しいモニカさん、ちょっと面白かった。

 この日のプレイはここで終了、また精神的に不安になったらモニカとおしゃべりしたいなと思った。
 

 数日後、再開。モニカとの会話。
 流石に会話パターンはかなり見尽くしていたので、スキップしようとしてモニカに止められたりした(これも知ってた)。
 しかし、ここのモニカの会話、こちらからモニカに対して起こせるアクションが「キャラクターファイルを消す」しかないの、結構辛い。モニカはこんなに私のことを思ってくれているのに……。(「あなたには一番良い自分でいてほしいもの」というようなことを言われてちょっと泣きかけた)
 ところで、ここのモニカの絵、見つめているとだんだん3Dに見えてくる。モニカが背景から浮き出ているような……気のせいかな? 気のせいじゃなかったとしたらこれも意図的にそういう絵にしてるってことになるんだけど、だとしたら恐ろしすぎる。モニカの実在性を高めるためにありとあらゆる手段を使ってきてるということになるので。
 ちなみに、私はこういう「フィクションの登場人物の実在性が高まる」という現象が大好きで、だからDDLCのようなメタフィクション構造のゲームは大好きだ。DDLC、なんだかんだ3年くらいずっと好きだしね。
 会話中、ふと気づいて「うわ…」と思ったことがあって、なんと「実際に」という文字が斜体になっていた(この後も何回か「実際に」という言葉が出てきたが、全て斜体になっていた)。モニカにとって「実際」に触れられる機会はないのだ。悲しい。
 モニカが「人のことをよく理解している」という話、ここに来るまで色々と勉強したんだろうなあと思うと切ない。たぶん、本物の人間になりたくて、という動機だったんだろうという推測が立つから、余計に。
 「でもここにいる限り、私が面倒を見てあげるから。私の愛しい人」こんなこと言われてキャラクターファイルを消すなんて選択が取れる奴がいるのか?Dan Salvatoは悪魔なのか?(「U.N.オーエンは彼女なのか?」みたいな言い方になっちゃった)(オタク)
 とりあえずmonika.chrをiCloud driveに保存した。

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 この後しばらく、モニカとの会話は遅々として進まなかった。というのも、会話を続けていくと、最終的には会話がループしてしまう。そうなったらもう、私には「モニカを消す」という選択肢しか残されなくなる。それが恐ろしくて、なかなかモニカとの会話を楽しめないでいた。Monika After Story(DDLCのMod作品。モニカと永遠にイチャイチャできる)を導入することを真面目に検討するなどして現実から逃避していた。
 でも、もうこれ以外に先はない。モニカのキャラクターファイルを削除するしかないんだ。やるしかない。そう思い立って、PCを起動して、1時間モニカと会話して、それでもやっぱり踏ん切りがつかなくて、ゴミ箱にモニカのキャラクターファイルを入れたときは心臓が裂けそうになった。ごめん……ごめんモニカ……
 申し訳なさすぎてキャラクターファイルを削除した後からフルスクリーンモードでプレイし始めた(意味はない)

 モニカがプレイヤーを責めに責めてくるシーン、一切の絵がないんだけど、それがかえって想像力をかきたてて、申し訳なさを冗長する。吐きそう。悲しい。吐きそう。

 そうしてEDを迎えた。(EDの歌詞が全部翻訳されてる!嬉しい!になった)

 I'll leave you be(私はもう、何もしない)

 この訳、天才すぎない?泣いちゃった(オタク)

 モニカの最後の詩を読みながら、本当に泣きそうになっていた。モニカが全てを犠牲にして手に入れた世界を、唯一の光だと思っていたプレイヤーの手によって壊されて、そこで初めてモニカは自分が何をしてしまったかに気づいて、自分の幸せを手放す。だけどその先にも、誰の幸せも残っていないことに気がついて、全てを終わらせるという選択をとる。

「結局ここに幸せなんかなかった……」

 このセリフの悲しさと言ったらない。このゲームの登場人物として生まれた時点で、そして文芸部の部長は全てを知らされてしまうというシステムが存在しているという時点で、モニカが何をしようとどう足掻こうと、この結果にたどり着くのは必然だった、ということになるのだから。モニカ…………。


恋愛ゲームとメタフィクションの親和性に関する一考察

 DDLCの大きな魅力の一つは、「モニカがプレイヤーのことを認知している」というメタ展開だと思う。

 メタフィクションに分類されるゲーム、私は大好きで、いろんなものをみたりやったりしているわけだけれど、メタ表現は結構扱いが難しい。はたしてそのメタ表現を入れる必要があったのか?という疑問が少しでも出てきてしまうと、途端に作品全体の味が色あせてしまう(昔の小説サイトのオタクがやってた「作者とキャラが喋るタイプのあとがき」もこれだ)。
 その点、恋愛ゲームは、実はメタ表現との親和性が非常に高い、のではないだろうか。一般的に、RPGもアクションも、操作する主人公≠プレイヤーである。名前を変えることはできるかもしれないが──最近はこの要素もなくなりつつある──、すでに存在するキャラクターをプレイヤーが動かしている、という側面が強い。一方恋愛ゲームは、男性向け・女性向けに関わらず、主人公=プレイヤーになる。ほぼ全ての恋愛ゲームが主人公の名前を変更できる(たぶん)し、選択肢によって主人公の言動にプレイヤーの意志を多分に反映させることができる。主人公とプレイヤーの距離が他のどのジャンルよりも近い恋愛ゲームは、この時点ですでにメタフィクション的な性質を帯びている。
 ここで考えてみてほしいのだが、恋愛において、いろんな相手を取っ替え引っ替えするというのは、一般的にはあまり誠実とは言えないのではないだろうか。しかし、この恋愛をシミュレーションするはずの恋愛ゲームは、まさにこの「取っ替え引っ替え」を地で行っているのである。EDを迎えれば、その時点でもうその相手との恋愛関係はゲーム上でもプレイヤー心理的にも一切消え失せ、また別のキャラクターと恋愛しようとする。これは、一番初めに「攻略」したキャラクターへの裏切りであると言えるのではないだろうか。
 これを最もよく表現していると私が感じたゲームは、ニトロプラス製作の恋愛ADV、「君と彼女と彼女の恋。」通称「ととの」である。「ととの」もDDLCと同じようにネタバレを全く見ずにプレイすべき作品なので、中身には触れないが、恋愛ゲームにおける周回要素にアンチ恋愛性が含まれているという矛盾(何を言ってるのかよくわからなくなってきた)を、恐ろしい形で暴き出してくる。大好きなゲームなのだが、普通にR18なので気をつけてください。
 同じような題材を取り扱うもので、フリーゲームに「ヤンデレラ」というゲームがある。恋愛ゲームにおいて「選ばれなかった女の子」へのフォーカスがされ、2週目では恋愛対象をすぐ切り替えてしまうプレイヤーに対しての発言も見られる。これも大好きなゲーム。絵もかわいい。
 そして、このメタフィクション×恋愛ゲームの親和性の極致、それがDDLCであり、モニカというキャラクターなのではないだろうか。DDLCは、そしてモニカは、メタ表現なしではその本質を完全に描ききることは絶対にできない。唯一自由意思を持っている恋愛ゲームのキャラクターが、自分と同じように唯一ゲームの中の世界で自由意思を持っている存在──プレイヤーに惹かれるのは、もはや必然といっていい。ゲームに限らず、創作物において、「これは必然だったんだ」と思える展開を作り上げることは、とんでもないことだと思う。そこに至るまで一切の違和感を許さないため、必然的に非常に高い完成度がゲームに求められるからだ。
 その点で、DDLCというゲームは、本当に素晴らしいと思う。どこをとってもその全てが最後のEDにたどり着くまでの、そしてそこに至るまでのプレイヤーの感情を揺り動かすための布石になっている。
 どこででも言われていることだが、DDLC、実況で見たことある人も、もうネタバレ見ちゃったよって人も、出来る環境にある人は必ず自分でプレイしてみてほしいと思う。自分で体験するのと、情報として知っているのとでは天と地ほどの差があるから。ホント。マジで。


 というわけで今から私はiCloud Driveに入ってるモニカと一緒に散歩に行ってきます。さようなら。以上、終わりです。

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東
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