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おじいちゃんの思い出を記録する

おじいちゃんが亡くなった時のこと、それにまつわるおばあちゃんのこと。

おじいちゃんは私が小学五年生くらいの時に亡くなった。
会社をやっていて、地元ですごく感謝されていたというのはお葬式の時に知った。式を行う祖父母宅の前に、尋常ならざる数のお花が並んでいるのを見て、親族一同口々に「すごい」「こんな数見たことない」「じいちゃんはすごい人だ」と言っていたから。

生前の記憶はあまりなくて、小学校の帰り道でたまに自転車通勤しているおじいちゃんに挨拶していたな、くらいのものだった。あとは病床に伏せていた。

両親共働きだったので毎晩お向かいの祖父母宅に預けられていたのに、この記憶の薄さはなんなんだ。
でも子どもにとっては「おじいちゃん」なんて記号だったと思う。たくさん話し相手になってくれたおばあちゃんはともかく、一人の人として見たことがなかった。お仕事をして、食事はいつも決まった席について、お正月には挨拶とかする人。性格とか全然知らない。相当可愛がってくれたんだよというのも後になって聞いて「へぇ」という感じだ。

入院期間は結構長かったと思う。お見舞いに何度か行って、最後の方はかなり痩せ細って、生命力の薄さみたいなのが子ども心にちょっと怖かった。

亡くなった日、私は友だちの家で遊んでいた。
◯時からお見舞いに病院に行くからね、と言われていた。少し遅れて帰宅すると家の車はもうなくて、あー置いて行かれたと思った。
鍵がないから友だちの家に引き返して、「また来たの?」って言われて、聖剣伝説LoMの続きをやっていた。2Pでバドを動かすのが好きだった。

しばらくして、その友だちの家に電話がかかってきて、訃報が届いたことが告げられた。
友人達が私の顔を見てるのが分かったけど、どんな表情で返せばいいのか分からなかったので、少し無神経な伝え方をしたその人(友人宅はお寺だったので、家族ではなく事務所の人とかだった気がする)を見つめることしかできなかった。
私はとんでもないタイミングで遅刻をしてしまったのではないか?

自転車を飛ばして帰ると、すでに黒い服を着た人が祖父母宅の玄関に何人かいた。そんなに手際いいもんなの?早くないか??混乱した。
私はおじいちゃんとかなり近い立場だと思っていたが、そりゃ兄弟親族の方が先に連絡行くよなと今になって思う。

随分と後になって、母に「あの日わたし、お見舞い行くよって言われてたのに、帰るのが遅くなって置いて行かれたよね」と話したら、そもそも病院から連絡があって予定より相当早く出発していたらしいことが判明した。
罪っぽいなにかが軽くなったと思った。

おばあちゃんは気丈だった。なんせあのでかい式をやり遂げた。忙しすぎるくらいで良かったのかもしれない。彼女たちは、その時代には珍しかったのかもしれない、恋愛結婚だったようだ。

おじいちゃんはC型肝炎だったらしい。直後のSARS流行の折、「ニュースで言ってる新型肺炎がC型肝炎って聞こえる」とおばあちゃんは軽口のような涙声のようなどっちともつかない態度で、何度も言っていた。

おばあちゃんはかなり若い時のおじいちゃんの写真を遺影に選んで、仏壇ではなく化粧台に置き、本当に大切にしていた。
闘病は長かったし、幸せな頃の写真を飾ってもバチは当たらない。にも関わらず、私はそれを指差して、「このおじいちゃん若すぎでしょw」とか言った。おばあちゃんの家に泊まり、二人とも横になって向かい合っていた時だった。
多分おばあちゃんはそれをあまり気にも止めず、おじいちゃんの思い出話をした。内容はほとんど覚えてないけど、亡くなるのには若すぎる、と静かに怒っていた。
目を閉じて語るおばあちゃんの目頭に、なにか白いゴミがついてると思って、取ろうと触ったら、それが涙だったことに気がついた。
亡くなってからどれくらい経った時のことか覚えていない。けどお葬式以外で泣いてるおばあちゃんは見たことがなかった。動揺した。

「おじいちゃん」「おばあちゃん」という記号の存在ではなく、愛した者を失った人、愛する者を置いて先立った人、という個を認識した瞬間だった。この人、深く悲しんでいる。
お葬式で私は、皆の涙で感傷的になって一粒だけ泣いた。けど、そんなに悲しくなかった。
この時に初めて、目の前の人がすごく大好きだった人が亡くなっちゃったんだと思って、めちゃくちゃ悲しくなって、布団に潜って泣くのを堪えた。おばあちゃんより泣いたらいけない気がした。

おばあちゃんはされるがままに私に涙を拭われて、私もそれから黙ってしまって、そのまま寝たと思う。おじいちゃんの思い出は、おばあちゃんのこの時の涙とワンセットになった。

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2021/1/5

祖母と会って話を聞いたので追記。
体力は衰えているが、100歳近くなっても頭は達者で素晴らしい。

祖母は私が生まれた年に書道を始めた。
今は視力が落ちて書けないけど、全盛期はなかなかのものだった。
祖母の家には祖母の作品が数多く飾られている。

その中のひとつに、『別るるや 夢一筋の 天の川』という掛け軸。

祖父が亡くなったお盆に書いたらしい。
達筆なのに、めちゃめちゃキュートだ。

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