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コロナ禍の子育てを振り返る。

3歳の息子と久々に「おかあさんといっしょ」を見た。

衝撃を受けた。

1つは、以前は見てもニコニコしているだけだった息子が、知らない曲も真似して踊ろうとしていた成長ぶりに。
あまりの可愛さに、イヤイヤに応える毎日の疲れが一気に吹き飛んだ。

もう1つは、うたのおにいさんおねえさんと一緒に、ちびっ子たちがたっっっくさん歌って踊っていたスタジオに。

思えば、これは私が子どもの頃に見ていたおかあさんといっしょでは当たり前の景色だった。
でも、私が息子と毎日のように見ていたときは、コロナ真っ只中。
ちびっ子がわらわら出演する画を、ほとんど見たことがなかったのだ。
息子もそのわらわらいる子どもたちにつられて踊りたくなったのかもしれない。

私はコロナが始まってすぐに妊婦になった。
旦那が検診でエコーを見れたことは1度もなかったし、
母親学級とか父親学級とか、親になる準備をする催しものはほぼなかった。
幸い、立ち合い出産を実施してくれる産院だったが、面会は1日1名1時間のみ。
産んでからは、未だウイルスにピリつく世の中と、180°変わった自分の人生に戸惑う毎日。
親子教室、マスクをしていたママたちとはお互い最後まで顔も覚えられなかった。
病院に行って少しでも熱があれば、隔離部屋で待機。
綿棒の検査が嫌で、まだ医者が来ていないのに泣き叫ぶ我が子。
そのくらい何度も、幼い体で検査をした息子を、痛かったねと抱きしめてきた。

世の中がだんだん以前の生活に戻るにつれ、時々ふと思うのだ。
「コロナ禍に出産・育児してた私たち、頑張ったなぁ。」

これからは、あのコロナ禍を思い出させる何かに出会うたびに、私たちはあの頃の育児を思い出して、目の奥がじんと、熱くなるのを感じるんだろう。
同じことで共感できるのは、多くの子育てを経験したママたちの中でも、限られた人達だけなのだと思うと、急に自分たちがレアな存在に思えてきた。


最近、地域のこども食堂にたくさん参加させてもらっている。
息子が本当に楽しそうだし、たまたま居合わせた親同士で話すのも本当に楽しい。
たくさんの人に囲まれて子育てができるってこんなに楽しいのか、と気づく。
コロナ禍の子育てがなかったら、当たり前すぎて気づけなかったかもしれない。

仕事柄なのか、地域からなるべく見つからないように過ごしたくなってしまうのだが、それはもうやめようと思った。

こんなに楽しいなら、堂々と子育てしようじゃないか。地域で。
そして、私にできることで地域に貢献してみたいと、最近思い始めたりしているのだ。

面白くなってきたな。私の人生。


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