自分の責任なら改善できる ハンロンの剃刀

突然ですが、「ハンロンの剃刀」という言葉をご存知でしょうか。僕の好きな言葉の一つです。意味は以下の通りです。

無能で説明できる事柄に悪意を見出だしてはいけない。

例えば人気の電化製品に重大な欠陥が見つかったとします。こうした時にしばしば大企業の陰謀などが取りざたされますが、欠陥を見抜けなかったという事実は単に企業のミスであり、何らかの能力が欠けていたのであって、悪意を疑っても意味がないという考え方です。

僕はこの言葉を紹介したり説明する時、もう少し簡単に「無能を悪意のせいにするな」と説明しています。

世の中には色々な問題があります。勿論悪意ある行為や権謀術数もあります。純粋にズルいだけというのもあります。こうした事柄に遭遇した時、僕はこの「ハンロンの剃刀」という言葉を思い出すように心がけています。

なぜ心がけているかというと、、、この言葉は正しく物事を見られる状態の時には必要ないとからです。

以前も記しましたが、この数年、色々な人の思わくに翻弄されて、かなり大変な思いをしました。いい歳をして、まあ、痛い目を見たわけです。

不思議なもので、心身共に健康な時はいろいろなこととに気が回るのできをつけることができますし、あまりいい加減な人は寄ってこなかったように思います。こうした時は自分が普段から心がけようとしていることを実践できるので、あまり間違えたりしません。
ところが心身が弱っている時ほど視野競作に陥ったり、判断力が鈍ったりします。すると健全な時に心がけていることができなくなってしまいます。

こんな時は、講義で話した後などに自分自身を反省して落ち込み、さらに判断ミスが重なってしまったり、、、その原因となった人に腹を立てたり、恨みがましく思ったり堂々巡りになってしまいます。

話が逸れてしまいました。

この「ハンロンの剃刀」という言葉、僕は少し拡大解釈をしてこんな風に捉えています。
先にも述べたように実際の世の中には、いい加減な人もいれば、明確な悪意もあります。例えば今、政府の方針などに対して多くの人がおかしいと声をあげています。理不尽なことも多々あります。しかし真面目にと言わないまでも、良識の範囲で生活している人がそんなものに振り回されていてはたまったものではありません。

こんな時、僕は「オッカムの剃刀」に倣って考えます。
指導的立場にありながら適切な判断ができない人も、社会規範に反する行動をとる人も、全て無能であったと考えます。またこのような指導者を選んだ私達自身も無能であったと考えます。そう考えると全ては自己責任です。少なくとも僕自身はそうであったと思うように努めています。
例えどんな立場てあっても、無能な人に責任は問えません。もし責任のある立場であれば、無能な人間に責任を持たせた本人の責任が問われます。他人が無能であったことを責めても何も解決しませんが、自分自身の無能に対しては、反省し学ぶことで対処ができます。

要は自分自身の努力で変わらないことをあれこれ考えても仕方ないと考えるのです。

勿論反論があると思いますが、しかし1人の意見では変わらないとか、「どうせ~」などと言う人には何も変えられません。自分自身が足りなかったと考えれば、次は変えられるというのが僕の考え方です。そう考えれば、失敗もまんざら無駄ではないのではないでしょうか。

とは言えこれはあくまでも僕の個人的な考え方です。僕自身、あまりにも多くの失敗を重ねていますから「それがどうした」と言われたら、「面目ない」としか言えなのですけれど、、、

いずれにせよ「ハンロンの剃刀」という考え方があることを知り、心がけていても損はないかと思います。

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