年の初めに思うこと 学ぶということを考える
色々な学校の教壇に立つと、面白いと感じることがあります。
必ずしもレベルの高い学校の学生さんの方が、やる気があるわけではありません。また、コンプレックスを持っている学生さんが、実は学習力が高いこともあります。
今担当しているもので、広告デザイン専門学校の講義では、「僕の講義は、レベルの高い大学でも同じ内容です」と伝えています。この学校の学生さんは、皆ヤル気があるので、実は講義をしやすいです。実際に講義の学校で講義の内容を変えることはありません。以前、社会人向けの講座を担当したとき、内容が濃いので大変だと言われたことがあります。デザインの学校ですから、勉強は苦手という学生さんもいますが、皆さんしっかりついてきますし、課題もしっかりできています。
そういう意味では、大人の方が難しいこともあります。謙虚でヤル気のある人ならよいのですが、、、まあ、色々ですね。
年の初め、今年は何かを勉強したいという方もおられると思います。
そこで今回は、勉強について、いつも感じていることを。
・勉強ができない人はいない
広告デザイン専門学校で担当するようになってから、最初の講義で始めたことがあります。
最初の回、自己紹介の後でこんな質問をします。
「勉強がキライな人?」
最初の講義でそうきかれて、力強く手を上げる人はまずいません。皆さんだいたい戸惑っている様子。
そりゃそうですよね(笑)。そこで質問を変えます。
「勉強が好きな人?」
この質問にはなかなか手が上がりません。そこで再度、「勉強がキライな人?」ときくと、おずおずと手が上がります。
そこでまず僕はこんな話をします。
僕の周りで、試験がどうしても受からずに、自動車運転免許が取れなかったという人に会ったことはありません。誤解がないように言うと、勿論、何らかの障害などで困難な方もおられるかと思います。
しかし、学生時代、どんなに勉強ができなかったという人でも、ほとんどの人が合格しています。なぜなら試験はあくまでも過程でしかないからです。
この試験を、例えば試験の合否に関係のない形式で、高校の科目として行ったら、きっと合格できない人がいることでしょう。
つまり目的によって人の取り組み方が変わるのです。
・暗記が楽しいわけがない
時々、ふと頭に浮かんだ言葉を調べて、何とも虚しく感じることがあります。例えば先日浮かんだ言葉が「わんやんあくだ」。確か中国の人物で、「顔」と「骨」という漢字が入っていたような、、、
その程度しか思い出せません。
受験のためにただただ記憶しただけの単語。知識として全く役に立たず、何なら記憶のストレージを無駄に使っているだけ。何とも虚しくなります。
調べても「ふーん」と思う程度で、何かを思い出すわけでもなく、知識欲を満たした満足感もない。
そんな勉強が楽しいわけがありません。
世の中には円周率を暗記している人がいますが、こうした人は何らかの興味があって始めたのではないでしょうか。そしてチャレンジ精神や取り組む意欲を感じたのだと思います。
・世の中には「暗記科目」はない
講義の初回、こんな話もします。
「勉強はまず理解すること。そして理解したことで、自分の問題を解決したり、何かを形にできると楽しい」と。
例えば、歴史の問題で、同時期の出来事や人物を答えるというものがあります。ちなみに僕はこの問題が苦手でした。ところがこの問題に、例えば経済循環の図を当てはめると、とても簡単な問題になります。
(恥ずかしながらこれを理解したのは大学院に入ってからでした。)
そしてその流れから物事の因果関係が解ると、自分の問題を解決できるようになります。熱心な学生さんは、課題に当てはめて、優れた結果を残す方もおられます。
・勉強は全て役に立つ
先日、テレビのクイズ番組で、東大生が難しいことを簡単にこなすというものがありました。番組では「さすが東大生」といった言い方をしていましたが、こうした言い方にはうんざりしてしまいます。
実は勉強ができる人は、正しい勉強の方法を行っていて、理解しています。だから全ての知識を、仕事や生活で活用できます。
これはとても楽しいことです。
この意見に対して、こんな反論がありました。
「趣味のことは丸覚えじゃないの?」
確かに、知っているだけで役に立たないこともあります。
でも、その人が知りたいと思ったことですから、その人の気持ちを豊かにします。同じ趣味を持つ人と話せば、受け止め方の違いなどを説明し、そのプロセスを比較して、より理解を深めることができます。この時点で、単なる「丸覚え」ではなくなるのです。
勉強を通じて、またその結果として楽しくなれること、これさえ見つけられたら大丈夫です。
世の中に、勉強ができない人はいません。
人生を豊かにし、生活を楽しく便利にすることこそが、学ぶことの意味なのではないでしょうか。