思考法を身につけるために必要なこと2
僕がデザインの世界と関わるようになって5年ほど経ちます。その間自分の専門分野である経営経済学をベースに、デザインについて多くのことを学びました。
実際の作業としてのデザインはできませんが、デザインの考え方を身に付け、製品開発や広告などのプランニングを行い、最近では、特にベテランの経験豊富なデザイナーの方から「デザイナーと名乗っても良いのではないか」などと言われ、秘かに嬉しく思っています。
こうした中で、時々デザイン思考について話すことも増えました。noteでも何回か取り上げている内容です。
以前記したnote「思考法を身につけるために必要なこと」ではデザイン思考も含めて、「思考法」とは「マインドセット」であるという説明をしました。またマインドセットの整え方についても記しました。
しかし実はこれだけではまだ不十分だと感じていることから、僕自身に起きた変化を元に、もう1つ必要な要素について考えたいと思います。
・デザインの失敗
この言葉はデザインの世界と関わってから知ったもので、(おそらく)丹念にデザインされたであろうはずなのに、本来の機能を果たせないもの、言わばデザインの不良品のような状態を指します。
実は有名デザイナーや大企業の製品にもこうした現象は時々起きます。
例えばオシャレに見えるけれども使い方が解らないコーヒーマシンであったり、商品名を読み間違えてしまうパッケージだったり。
先日もこんなことがありました。
ある地下鉄駅付近の御手洗いが新しくなったのですが、以前と男女のスペースが逆になっていて、慌てる人がちらほら。入り口にマークはあるのですが、道具入れでしょうか、壁と違う色のドアにマークが書かれているので、そこだけ別の、例えば男子兼用個室のように見えてしまいます。洗面台の蛇口も石鹸と流水の区別がとても分かりづらく、友人と「デザインの失敗」という話になりました。
面白いもので、見た目をカッコよくしたりシャレた感じにすると、なぜかこういうことが起こってしまうようです。
一般的にはデザインは「見た目を良くすること」だと思われがちですから、よくデザイナーの方々は「デザインは色形じゃない!」と仰いますが、それでもこうしたことは起きます。
さて、こうしたデザインの失敗ですが、ある時期から急に‘見える’ようになりました。適切にデザインされたものを、適切な説明を受けながら見るうちに自然に見えるようになったのです。
これはある出来事がきっかけでした。
僕は中部デザイン協会という団体に所属しています。経営学分野の学位を有し、大学で教えていた異分野の専門家ということもあり、すぐに多くの年長の方々と親しくさせて頂くことができました。
こうした集まりの勉強会で、名古屋市の交通機関の表示が良くないという話がありました。
どこがどんな風に悪いのか、どのようなデザインが好ましいのかを、皆さんが丁寧に教えて下さりました。
するとその日から、それまで全く不便さなどを感じなかった案内が、急にとても見辛く感じるようになったのです。
この出来事以降、色々なもののデザインの失敗が目に入るようになりました。
物の色や形だけでなく配置など、世の中の残念なデザインの結果が目につくようになりました。
・デザインの視点
例えば店舗や工場の配置などは、大企業であれば人間工学や生産管理の理論に基づき、とても厳密に設計(デザイン)されています。僕はマルクス経済学出身ですが、経営工学の分野などはとても立ち入る隙はありません。
それでもある程度は問題点は目につく方だと思ってましたが、「デザインの視点」を身につけてからは、それまでとは違った風に見えるようになりました。何気なく物を置くときでも、アフォーダンスやUIを無意識のうちに考えるようになりました。
ここまで来ればもうお解りでしょう、つまり「視点」が必要なのです。
例えばデザイン思考はデザイナーである必要はありません。最初にデザイン思考を定義したのは、経営学分野で有名なハーバート・サイモンです。この分野で先端であるスタンフォード大学d schoolにもデザイナーはいません。
しかしデザイン思考を身につけるためには、デザインの「視点」を身につけることが近道だと考えます。
他の分野でも同じことが言えます。
例えば僕がパートナーと旅行をしたときのことです。旅先での食事が思いの外(その地域の皆さんごめんなさい)美味しく、またとても値打ちでした。そのため僕は、無意識のうちに思わず「ここの消費者物価指数ってどのくらいかなぁ」と呟いていました。
パートナーは僕のことを理解してくれているので、「経済学者さんてそんなこと考えてるんだ(笑)」と笑ってくれましたが、端から見たらかなりおかしな会話かもしれません。
つまり僕は常に「経営経済学」という視点で物事を見る癖がついているのです。
そこに「デザイン」という視点が身に付いたため、デザインの失敗も見えるようになったのです。
・本物を見るということ
実はデザインの失敗が見えるようになったとき、思い出した逸話があります。それは銀行員の方は、いつも本物のお金を触っているから、見つける気がなくても偽札が判るという話です。
この話を聞いて納得したことがあります。講義中など机の下で何かしている学生さんがいますが、教員はわざわざ見つけているわけではありません。ちゃんと聞いていない学生さんは動きが不自然なので、目についてしまうのです。
教壇に立ってみて初めて気が付くことですが、僕も学生時代は真面目な学生ではなかったので、心の中でこれまでの先生方にあやまりつつ、理由を説明して「気が散るので止めて」と注意するようにすると、単に注意するより効き目がありました(笑)。
これは教壇からの視点と、恥ずかしながら不真面目な学生時代の視点を組み合わせたものです。
思考法を身につけるには、強いてはマインドセットを整えるには、優れた本物を見て、「視点」を身につけることが近道のように思います。