歴史を学ぶということ

先日の有志勉強会では、社説の読解を行いました。
これは広告デザイン専門学校、ロジカルシンキングの講義で行っているものですが、一般の方からも、多くの方に興味を持っていただいているので、人材育成・社会人学習の流れの一環として行いました。

講義では、なるべく新しい内容から社説を選びますが、今回は少し前、朝日新聞オンライン3月16日の社説、旧優生保護法下の強制不妊手術をめぐる訴訟についての記事を使用しました。

実はこの問題について、僕はほとんど知りませんでしたし、そもそも記憶にありませんでした。
たまたま夕方のニュースで流れ、母から質問されたことで思い出したのです。
そのときのニュースでは、判決の結果が簡単に説明されただけでした。僕も夕食の料理をしていたので、母も詳しくは質問しませんでしたから、簡単に当たり障りのない答えを返しただけだったのですが、勉強会のために社説を選ぶに際して、どうしても気になったのです。

普段の講義では、パラグラフを1行にまとめ、さらに起承転結で1行ずつにまとめます。しかし今回は社会人の勉強会都うことで、さらに論点、問題、背景、課題もまとめて頂くというものでした。

学生さんに向けた講義のときも同じですが、社説の読解を行うときは、内容などについて説明できるように、その問題自体についても確認してから行います。今回は、深くは知らない問題なので、確認のため、背景などを調べました。

さて、今回の勉強会では、参加者の半数は40代以上で、残りの半数は20代半ばでした。
このことは、この内容の文章を読み解くうえで、後々影響することになります。

社説を音読(最初に必ず行います)した後、それぞれ文章をまとめて頂きます。
要約が終わった後、内容について僕から解説しました。

この問題は、戦後、1948年に制定された法律で1996年に改正されました。その内容は、障害のある方に、強制的に不妊手術を行ったというものです。この間、約25,000人の男女が施術を受け、その内6割は本人の承諾がなく、中には9歳の女児も含まれていたそうです。
施術自体は92年まで行われたということですが、自分たちが生まれる前とは言いえ、20代半ばの方には、自分たちが生まれた頃まで、そんな法律が存在したことは、かなりショックだったようです。

・僕からの説明
この問題について、ある程度の年齢の方は、「昔のことだから仕方ない」と思うかもしれません。しかしこうした問題を「昔のこと」と片付けてしまうことはとても危険です。

1948年といえば、終戦から3年後のこと、当時の日本は、やっと戦後復興がはじまったばかりです。健康な人でも生きていくことが大変な時代に、障害のある方や、そうした方の子供を救うことが困難な時代でした。また戦中は強兵のため、いわゆる「産めよ増やせよ」ということが行われ、過度の出産によって、健康を害する女性も少なくなかったのだそうです。
こうした背景を考えると、この法律は、ある意味では、人道的配慮だったと言えなくもありません。しかし決して許すべきことではないのは、言うまでもありません。
そしてこの法律が1996年まで存在した(放置された)という、恐るべき事実にも目を向ける必要があります。
施術は1992年まで続いたということですから、日本人がバブル経済に浮かれて、過剰な贅沢を謳歌していたときも、この問題は続いていたのです。

1万円札でタクシーを停めるような愚行と、障害者に対する強制不妊手術が同時に行われていたかと思うと、何が先進国でしょうか!狂気の沙汰です。

この間約50年、男性社会、利権優先の日本の政治は、この問題を見殺しにし続けてきたのです。

・歴史を学ぶということ
歴史を学ぶということは、年号や人名、出来事を覚えることではありません。
歴史の中で、どのような背景から、何が行われたかを正しく認識すること。間違いを間違いとして認めること、同じような過ちを繰り返さないために、自分たちがするべきことを考えること、これこそが歴史を学ぶ意味と責任です。
‘歴史好き’という人が、趣味で調べることを否定しているわけではありません。それは楽しいことです。しかし歴史を‘学ぶ’ということとは、根本的に異なります。

今回の勉強会は、思い掛けず、こうしたことを学ぶ機会となりました。

新型コロナウイルスやウクライナでの7許されざる行為など、私達は解決しなければならない問題を、あまりにも多く抱えています。

こうしたときだからこそ、本当の意味で歴史を学ばなければならないと、あらためて自分を戒める回になりました。

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