7/15頃発売!『一週間後、あなたを殺します』期間限定増量版試し読み公開!!
2024年7月15日頃発売予定、GA文庫大賞《金賞》受賞作『一週間後、あなたを殺します』1章エピソードを特別に全文公開!試し読み感想キャンペーンも開催中ですのでぜひご参加ください!
※本文は実際の製品版とは異なる場合がございます。あらかじめご了承ください。
DAY1
「一週間後、あなたを殺します」
陽気な音楽の流れる大衆酒場に似つかわしくないセリフが、耳元で囁かれた。
カウンターで一人飲んでいた、目つきの悪い青年は、即座に声の主へ視線を走らせる。
火山地帯に属するこの街ではポピュラーな、灰除け用のフードを被った少女が、すぐ後ろに立っていた。
そのフードは一般的なものと違い、二つの突起が猫耳型に盛り上がっている。
フードにはマントが付いており、そのマントの下から、尻尾のような紐がぶらさがっていた。
明らかに異質な出で立ち。だが青年は見た目のことよりも、かけられた言葉の方がよっぽど気になっていた。
「酔ってるのか? 冗談なら笑えるやつにしてくれよ」
「冗談ではありません。あなたには心当たりがあるはずです」
そこではじめて青年は、少女の顔を覗き込む。
この辺りでは珍しい黒髪や、端正な顔立ちより先に、左右色違いの瞳が青年の目を惹いた。
右目が金色、左目が蒼色のオッドアイ。
別の世界から来たような容姿に呆けそうになった青年を正気に戻したのは、脳内に蘇った物騒なセリフ。
『一週間後、あなたを殺します』
明確な殺害予告。なぜ一週間の猶予があるのかは分からないが、命を狙われる理由には心当たりがあった。
「場所、変えねえか」
「ビール、飲みかけじゃないですか。これから一週間、あなたから離れませんので、どこにいても同じです。一杯付き合いますよ」
青年が何か言う前に、少女は店員にジンジャーエールを注文した。
「こんな時にのんびり飲んでられっかよ!」
青年はコインをカウンターに叩きつけ、店から勢いよく飛び出した。
裏路地に入り、細い道へ身体をねじ込む。幾重にもパイプが入り組んでおり、一見猫くらいしか通れなさそうなルートを、蛇のように身をよじって奥へ奥へと進んでいく。
青年はパイプの間に挟まりながら息を整え、身体の中で魔力を練り、祝詞を口にした。
「《隠影》」
すると、青年の姿が視覚的に消えた。
この魔法のおかげで今まで安全に仕事をしてこられた。どんな状況でも逃走できた。
魔法。それは、人間の体内で作られる魔力を、独自の方法で練り上げ、体内から外の世界に出力することで起こる現象。
出力する際、発動したい魔法に合った言葉の羅列『祝詞』を唱える必要がある。
誰でも使うことができるが、人によって使える魔法は千差万別。
青年は、この魔法に自信があった。姿を消せる魔法を使える人間なんて、周りには一人もいなかった。
「飲みかけのビール、持ってきてあげましたよ。良い場所ですね。私もここで飲みます」
青年の頭上を走るパイプに足をかけ、逆さ吊りになった少女は、視えていないはずの青年の目を見据え、その頭の上に器用にジョッキを置く。
少女は逆さ吊りのままジンジャーエールを口に含んだ。
口の中から溢れた飴色の液体は、重力に従いボタボタと落ちてゆく。
こぼれてしまいました、と少女はぽつんと呟いた。
とっておきの魔法が効かない。それを悟った青年は、頭の上に置かれたジョッキをゆったりと手に取り、一気にあおいだ。炭酸が抜けていて不味かった。
「まだ死にたくねぇなぁ」
「死にます。一週間後に私が殺します」
「なんで一週間後なんだよ」
「私のポリシーです。この一週間、身辺整理するなり遊ぶなり好きにしてください」
「あーマジかぁ。マジ、かぁ。俺、死ぬのかぁ」
青年は魔法を解除し、すぐ傍をよぎった猫の背を撫でた。
猫は嫌がるように身をよじり、文句を言うように低い唸り声を上げた。
「何度やっても同じですよ」
「くそっ、勝てねぇ! お前まだ一二歳そこらだろ! なんでそんなに強いんだ!」
青年は少女の拘束から抜け出そうとしたが、身体はピクリとも動かなかった。
「生まれた時から訓練を受けてきましたので。あと私は一四歳です」
組み伏せられた青年は、抵抗の意思がないことを示すべく、手の平で地面を叩く。
瞬時に腕を解いた少女は、青年の手を掴み、引っ張って立ち上がらせた。
「魔法も肉弾戦も仕込み武器も、何もかも効かねぇ」
身体強化系の魔法でも使っているのか、視認さえ難しいほどのスピードと、圧倒的なパワーで捻じ伏せられる。攻撃系の魔法も全て弾かれた。こんなに強い人間、見たことない。
「当然です。素人のあなたに、私は倒せない」
「それだけ人間離れした動きを長時間続けてるなら、魔力なんてすぐ枯れるはずだろうが!」
「鍛え方が違いますので」
魔力も体力と同じく、後天的に伸ばすことができる。にしてもこれは異常だ。
「抵抗が無駄だと分かったのなら、早く自分のために行動した方がいいですよ。あなたは残り一週間しか生きられないんですから」
「うるさいっ。チッ、なんで自分を殺しに来たやつと、一緒にいなきゃいけねぇんだ」
「私が依頼を受けたからです。私以外の殺し屋だったら、既にあなたは死んでいましたよ」
「そっちの方がマシだったかもしれねぇ」
「そう言わずに。何かやっておきたいことはありませんか? 私にできることなら、可能な範囲で手伝いますよ」
「殺し屋に手伝いなんか頼むかよ。それに、やっておきたいことなんてすぐには思いつかねぇ」
「表通りでも歩きながら考えましょう」
先導するように、少女は裏路地から表通りへ足を踏み出した。
青年は少女に続き、肩を並べて通りを歩く。
「自分を殺すやつが隣を歩いてると思うと、頭がおかしくなりそうだぜ」
「実際、恐怖に耐えられなかった人もいましたよ。あなたは理性的な方です。理性的なほど一週間の間に、いくらか後悔を潰して死んでいきます」
「後悔。後悔ねぇ」
青年は、遠くを見つめるように目を細めた。
西日が傾き、表通りが茜色に染まっていく。
この街には火山が付近にいくつもあり、街の人間の多くは、鉱山資源の採掘に勤しむ者とその家族。
仕事終わりのこの時間、表通りは人で溢れる。
青年と同じく二〇歳くらいの若者のグループ。父を迎えに来た母と子。仲睦まじい男女。
青年の視線が、煤けた頬をした女性に抱き着いている兄妹を捉えた。
「あの家族が気になりますか」
「ん? ああ。家ぇ飛び出した時のこと思い出した。俺、妹いんだよ」
「私も兄、みたいな人がいます」
少女もまた、目を細めて兄妹を眺めていた。
「……お前の兄貴分も殺し屋なのか?」
「はい」
「ふーん。仲良いの?」
「訓練や食事はほとんど一緒でした」
「へー。そりゃ良いこった」
「家を飛び出したのは、ご家族と仲が悪かったからですか?」
「いや、良くも悪くもなかった。ただ、貧乏でさ。環境に耐えられなくなって、金持ちになってやるー! つって、家を飛び出したんだよ。そっから中央の街に行って、食いもん屋で住み込みで働いてたけど、給料安くてさ。もっと金が欲しくて、そういう不満漏らした客ん中に、麻薬の商人がいて――」
この国ではよくある話だった。貧富の差が激しく、貧しいものは犯罪に手を染めるしか、金持ちになる方法がない。
「麻薬運びをするようになった、と。では家族とはもうずっと連絡を取っていないんですね」
「だな。あいつらまだ貧乏なんかな」
「仕送りしてあげたらどうですか」
青年は不満そうに眉間にシワを寄せた後、先ほどの兄妹に視線を滑らせ、フッと力を抜いた。
「……そうだな。俺、どうせ死ぬし。金持っててもしょうがないか」
「今日やること、決まりましたね。急ぎましょう。銀行と郵便局、もう閉まっちゃいますから。あなたの時間は限られているので、明日にまわしたくありません」
少女は青年の手を引いて、銀行の方へ急がせた。
「待てって。俺、金は全部家にあるから」
「あぁ。あなたみたいな人は口座作れませんでしたね」
少女の手を振り払って表通りから裏路地へ移動し、祝詞を唱える。
「《隠影》。おい、殺し屋、お前も魔法使え。念のためにな」
「了解」
少女は音もなく姿を消した。
「祝詞を唱えずに魔法を使った?」
「細かいことはいいです。行きましょう」
「お、おう」
青年には、どこから声がしたのか分からなかった。
人が通れるくらい大きなダミーダクトを通って、隠れ家に向かう間、少女の気配は元より、身動きの際に発生するはずの音さえ聞こえなかった。
改めて青年は、この少女から逃れられないことを悟った。
「住所書かないと送れない感じっすか」
「はい。規定でそのようになっております」
「そっすか」
青年は住所不定。住所を明記しなければ、現金書留を利用することができなかった。
この国、キイリングは他国に比べて、銀行などの金融機関が発達しているため、お金周りにうるさい。
受理されなかった申請書と、札束を手に受付から離れた青年に、少女は駆け寄った。
「申請書を貸してください」
申請書に書かれた名前『リカルド・シルヴァ』の下の空白の住所欄に、書き慣れた筆致でこの辺りの住所を書き込んでいく。
リカルドの手から半分ほどお札を抜き取り、申請書と一緒に受付に持っていく。
少女はあっさり手続きを終えて戻ってきた。
「え、住所、どうやって」
「仕事柄、各地に『家』があります。そこの住所を書きました」
「なんで金全部送らなかったんだ。あ! お前ふんだくるつもりだろ!」
「違います。きっと一週間の間に必要になると思ったんです。最期の日までに、あなたがこのお金を使うべきだと判断しました」
「余計なことしやがって」
「ともかく。これで手続きは終わりです。仕送りをしてみて、どんな気持ちになりました?」
「どんな気持ちも何も別に。何とも」
「そうですか」
少女は、リカルドが気付かないほど小さく肩を落とした。
「さー飯食うかぁ。お前も付いてくんのか?」
「当たり前です。二四時間監視体制です」
「トイレや風呂もか?」
リカルドは冗談のつもりでそう言ったが、少女は眉一つ動かさず「当然です」と答えた。
「仕事に忠実ってわけか」
「はい。見慣れてますし平気です」
「その年で見慣れてるってのも、いや、お前みたいなやつに言っても意味ないか」
「早く食事しに行きましょう。お腹空きました」
「はー。何だかなぁ」
リカルドは食事後、すぐに隠れ家に帰り、少女に背を向け手早くシャワーを浴びてから、カビ臭い寝床に潜り込んだ。そんなリカルドに少女は「おやすみなさい」と囁く。
リカルドは挨拶を返さず目を閉じ、そのまま数時間が経過した。寝返りを打ち薄目を開ける。
少女は立ったまま目を閉じていた。胸は浅く上下しており、寝息のようなものも聞こえた。
少女が寝入っていることを確認したリカルドは、寝床に隠してある投げナイフを握り、音を立てずに狙いを定める。喉元目がけて放たれたナイフの風を切る音が、部屋に響いた。
少女は目を閉じたまま小首を傾げ、右手で飛んできたナイフの柄を掴む。
「諦めが悪いですね。無駄です。どう足掻いても、私からは逃れられません」
未だ瞳を閉じたまま、指先にナイフの切っ先をのせて弄んでいる。
「バケモンがよ。一週間後、睡眠不足でふらふらになったところを襲ってやる」
「睡眠不足にはなりません。日中から適宜脳を休ませていますので」
「クソがっ! ……なんで俺、死ななきゃいけねぇんだ」
「麻薬運びに失敗した上、麻薬倉庫から大量の麻薬を持ち逃げしたからです」
「それって殺されるほどのことなのか?」
「あなたの雇い主からしたら、殺したいどころじゃ済まないでしょうね。メンツが潰れ、取引先からの信用も失い、高価な麻薬も盗まれた。あなたの雇い主は最初、生きたまま捕まえるよう依頼しに来ましたが、私の組織は殺ししか承っておりませんので、渋々受け入れていただきました。仮に失敗していなくとも、軍警察に捕まれば死罪です。たとえ運ぶだけの立場であろうとも。今、この国では麻薬が蔓延しており、国が総力をあげて取り締まっています。厳罰化が進む一方で、ゆくゆくは所持者にも罰が下るようになるのではないかと言――」
「もういい分かった!」
「はい。口、つぐみます」
少女はリカルドに投げられたナイフで口元を隠した。
そのまま先ほどと同じように立ったまま目をつぶる。
その日、リカルドは明け方まで眠ることができなかった。
DAY2
「まだ死んでねぇ」
リカルドは寝ぼけ眼のまま、自身の身体に目を走らせる。
気配を感じ横を見ると、ベッドの傍らに少女が立っていた。
「私は殺し屋ですが嘘吐きではありません。約束は守ります。あと六日は殺しません」
リカルドが目を覚ましたのは、昼過ぎだった。
「数日後に死ぬって分かってるのに、いっちょまえに腹は減る。何か買いに行くか――」
「通りのパン屋さん、気になってます」
「あっそ」
リカルドは無造作に財布を懐に入れて、少女と共に通りへ出る。
通りは昼ご飯を求める人間でひしめいており、需要に応えるべく彩り豊かな店たちが軒を連ね、美味しそうな匂いを漂わせていた。
「良い匂いだ。あそこにしよ」
リカルドが吸い寄せられたのはパン屋だった。
「優しいところあるんですね。私の希望を聞いてくれるなんて」
「偶然だわ」
各々好きなパンを買い、ベンチに腰かけて食べる。
「お前さ、シャワーとかトイレとか行ってるとこ、昨日から見てないけどどうしてんだ?」
「食事中にそういう話はちょっと。それに女の子にそういうこと聞くの、どうかと思います」
「殺し屋風情が何言ってやがる」
「それもそうですね。疑問にお答えすると、ちゃんと行ってます。あなたが寝ている間に」
「途中で俺が起きたらどうするんだよ」
「探知魔法を使用しているのでシャワー中、排泄中であろうと対応可能です。対応が難しい環境だとしても問題ありません。ある程度の日数、排泄せずとも稼働できる訓練を積んでいますので」
「もうどんな話聞いても驚かなくなってきたわ」
一つ目のパンを食べ終わったリカルドは、二つ目を手に取った。
「菓子パンがお好きなんですね」
リカルドが購入したパンは全て菓子パンだった。
「そういうお前もチョコパンじゃねぇか。まあ、菓子パンってか、菓子が好きで。そういえばちっせぇ頃、菓子職人になりたいとか思ってたような気ぃするわ。俺みたいなやつがなれるわけねぇのにな」
「…………」
少女はそれから黙ってパンを咀嚼し続けた。一口が小さいため、リカルドが三つ目のパンを食べ終わるのと、少女が一つのパンを食べ終わるのは同時だった。
「やることねぇし昼寝でもすっかなー」
「お菓子、作りましょう」
「はい?」
少女は口元に付いたパンくずを舌で舐めとってから、強引にリカルドの腕を引っ張り、食材を購入すべく食料品店へ連れ込んだ。
「こんな帽子まで必要か?」
リカルドの頭には、少女が白い紙で作った縦長の帽子が鎮座していた。
「コック帽って言うんですよ。衛生面を考えると必要です。髪の毛が混入したら大変です」
「分かっちゃいるが、ちょっと立派過ぎないか?」
「形から入るのが私のポリシーです」
「ポリシー多いのな。んで、何作るんだよ」
「クッキーを作りましょう。レシピはそこの棚にあります」
二人は、少女の組織がこの辺りに持っている『家』の一つに来ていた。リカルドの隠れ家にはロクな調理器具がなかったためだ。
調理が始まった。少女は材料や器具の受け渡しに徹する。
リカルドは、ぎこちないながらも丁寧に、真剣な眼差しで、形を整えた生地をオーブンに入れた。その様を、少女はじっと眺めていた。
「俺さ、菓子作りってもっと難しいもんだと思ってたんだけど、案外できるもんだな」
リカルドは焼き上がったクッキーを不思議そうに見つめた。
どうにも自分が作ったのだという実感が湧かない。
「足を踏み入れさえすれば後は何とかなるものです。最初の一歩を踏み出す勇気さえあれば」
「そういうのよく分かんね」
キッチンからリビングのテーブルへ二人で移動し、焼き上がったばかりのクッキーを並べる。
「いただきましょう。冷えてカリカリになったクッキーもいいですが、出来たてでやわらかいクッキーもまたいいものです」
「ちょっと待て。味見させてくれ」
「する必要はありません」
少女はリカルドの制止を聞かず、大口を開けて一枚まるごと口に放り込んだ。
「ど、どうだ⁉」
リカルドは思わずテーブルに身を乗り出した。
「やっぱり、味見なんて必要ありませんでしたよ。美味しいです」
少女は常に無表情。それは今も変わらない。ただ、声音は弾んでいた。
「そ、そっか。俺も食ってみっか」
一枚頬張る。すぐに二枚目、三枚目と口に入れ、音を立てて噛み砕く。
「ちょうど良い甘さで食べやすいですよね。何枚でもいけちゃいます」
「ああ、そうだな。レシピのおかげだ」
「でも、作ったのはあなたです。これは、あなたのクッキーです」
リカルドは表情を見られないように、少女から顔を逸らした。
「片付けは俺一人でやる。やらせてくれ。お前は残りのクッキー食ってろ」
テーブルに置いておいたコック帽を目深に被り、リカルドはキッチンへ向かった。
少女はその後ろ姿を目を細めて見送った後、やや形が不ぞろいのクッキーへ手を伸ばした。
DAY3
「今日はお菓子作りしないんですか?」
賑わっている表通りを、二人は人波をかき分けながら進む。
半歩後ろを歩く少女に話しかけられたリカルドは、視線を前に向けたまま答える。
「しない。暇つぶしに散歩する。隠れ家にいるとお前が視界に入るから、息が詰まるんだよ」
「慣れてください」
「死神が近くにいることに、慣れるわけねぇだろ」
「死神ですか。よく私の二つ名を知ってましたね」
「知らなかったけど。お前そんな風に言われてんのかよ。見た目だけなら黒猫とかいう二つ名付いてそうなのにな」
爛々と光る金と蒼のオッドアイ。艶やかな黒髪。黒い猫耳付きフード、黒いインナー、黒いショートパンツ、黒いタイツ、臀部から垂れている尻尾みたいな紐をまじまじと眺める。
「新人時代は黒猫って呼ばれてましたよ。任務をこなし続けていたら、いつの間にか死神に変わってました」
「見た目より功績の方が有名になったのな。あのさ、ずっと気になってたんだけど、その猫耳と尻尾なんなの? 仮装?」
「どちらも暗器が仕込まれています」
「聞かなきゃ良かった。はぁ。どっか見晴らし良い場所ねぇかな」
「ありますよ。ちょっと歩きますけど」
「そこ行くか」
「了解。先導します」
少女は足早にリカルドを追い越した。そんな少女の、臀部付近から生えているように見える、尻尾のような紐に目を取られながら、リカルドは後を追う。
「この火山地帯に、こんな場所があったんだなぁ」
「昔、地震があって地形が変化して、こうなったらしいです」
辿り着いたのは、開けた平地。暗色の多いこの街には似つかわしくない、見渡す限りの緑。
地平線の見える草原。リカルドは自分と同じくらいの背丈の岩に手足をかけた。くぼみを利用してひょいひょいと器用に登り、天辺で腰を下ろす。
「何もない、つまらない場所のはずなのに、なんでか肩の力が抜けやがる」
「ここには何もありません。だからこそ空気が美味しく感じられ、ただそこに在るだけの自然を美しく思い、己と向き合うことができるんです」
「自分と向き合って何になるんだよ。一銭にもならん」
「生きやすくなります」
「生きやすくなるだと? 俺あと数日しか生きられないんだけど。お前なりのジョークか?」
「いいえ。本気で言ってますよ」
「お前が何を伝えたいのか分からん」
「おや、見てください。あんなところに人がいますよ」
少女は手でひさしを作り、草原と森の境目へ目を向けた。
「ほんとだ。ふらついてんな。怪我人か病人か」
「声かけてみましょう」
「んなことする必要ないだろ」
「暇つぶしにはぴったりじゃないですか。どうせあと数分もすれば、景色に飽きて帰りたくなるんでしょうし」
「お前さぁ。はぁ、めんどくせ」
掴まれた手を振りほどこうとせず、少女が進むままに身を任せた。
「どうされました? どこか悪いんですか?」
少女は、森の中に入っていこうとしている、リカルドと同じ二〇歳そこそこに見える男性の肩を叩く。
「うあ? あー」
焦点の合っていない落ちくぼんだ目。唇の端からこぼれる粘性を持った涎。露出された腕に浮かぶ多数の注射痕。
「なんだコイツ」
「分からないんですか? あなたが運んでいたのと同じ種類の麻薬の使用者ですよ。見たことないんですか?」
「ラリッてるやつは数人見てきたが、ここまでのやつは見たことねぇ」
少女は、後ずさりするリカルドの手を掴み、引き寄せた。
「付いて行ってみましょう」
「嫌だ」
「どうせ暇なんですからいいでしょう」
「暇じゃねぇ。やりたいことが」
「あるんですか?」
「い、いや、その」
問答をしている間に、どんどん森の奥へ。途中、男性が倒れて、動かなくなった。
「亡くなってはいないようですね」
少女は小さな身体で男性を担いだ。が、背負ったものの体格差のせいで、男性の足先がずるずると地面をこすってしまっている。
「貸せ。俺がやる」
リカルドは、少女から男性を引き継いでおぶった。
「どんな心境の変化ですか」
「別に」
男性が目指していた方角へ向かって、二人は並んで歩く。人が何度も歩いた形跡のある道を。
見えてくる。森の中にぽっかり空いた空間が。そこに無数に存在するテントが。呻く人々が。
その中の一人が、リカルドに駆け寄ってきた。
「連れて来てくださったのですか⁉ ありがとうございます!」
周りの中毒者たちに比べて血色の良い、若い女性がリカルドから男性を受け取り、肩を抱いてテントへ連れていった。
「麻薬をやり過ぎると、こんな風に、なっちまうんだな」
頭を押さえてうずくまっている者、不明瞭な言葉を呟きながら宙を搔く者、ひたすらその場でぐるぐる回り続けている者。皆一様にやせ細っていた。
「ええ。麻薬は人を壊します。だからこんなもの、流行らせてはいけないんです」
意識不明瞭な者たちが大半の中、一人だけニコニコ笑いながら近づいてきた男がいた。
「聞いてくれよ! ようやく事業が軌道に乗ったんだ! これで従業員を増やせるし、これまで辛い思いをさせてきた家族に楽をさせてやれる!」
テンション高くそう言ったかと思ったら、急に目が虚ろになり、静かになった。
その男は胸元に手を突っ込み、服の生地の裏に隠していた注射器を取り出す。
少女は男の手から注射器を取り上げ、真っ二つにし、遠くへ投げ捨てた。
「ゔああああ! それをよこせええええ!」
「ごめんなさい、ちょっと寝ててください」
麻薬を取り上げられて叫び出した人の後ろに回り込み、首筋に手刀を叩き込む。
「な、なんてことを!」
テントから戻って来た女性が、血相を変えて少女たちのもとへ走ってきた。
「フェリキタスを服用しようとしていたので、取り上げて破棄しました。すると暴れ出したので、意識を失ってもらいました。しばらくしたら起きるはずです」
フェリキタスは蔓延している麻薬の中でも、特に厄介なもの。
都合の悪い記憶を一時的に消し、幸せだった頃の記憶だけを呼び起こして繋げる。
凄まじい多幸感を得られる反面、離脱症状も重い。他の麻薬より高値で取引されているため、裏組織に多くの金が集まるという弊害もある。
「そうですか、まだ隠し持っていたのですね」
「ここは? あなたが責任者ですか?」
「一応、責任者、ということになるのでしょうか。ここは、麻薬のせいで家族に捨てられた者や、生活できなくなった中毒者たちが、身を寄せ合う場所なんです」
「なるほど。見たところ、設備や食料が不足しているようですが」
「動ける者だけで日銭を稼いでいるのですが、どんどん動ける者が減ってきておりまして。先ほど連れて来ていただいた彼も稼ぎに行っていたはずなんですが、あの様子を見ると、おそらく再び麻薬に手を出してしまったのでしょうね」
俯いてしまった女性に、少女はマントの中から小袋をいくつか取り出し、差し出した。
「これ、使ってください。少ないですが、食料と、包帯、消毒液諸々の簡易医療キットです」
「ほ、本当にいただいていいんですか?」
「はい」
「ありがとうございます! でも、どうして見ず知らずのわたしたちに?」
女性は、小袋を大事そうに胸に抱きながらそう聞く。
「人助けが趣味なもので」
「それは、良い趣味をお持ちですね」
女性のこけた頬が、柔らかく持ち上がった。
「殺し屋の趣味が人助けってどういうことだよ」
「いけませんか?」
「矛盾してるだろ」
「そうでしょうか」
森から平原に戻った二人は、岩の上で沈みゆく夕日を眺めながら、ポツポツと話す。
「なんで麻薬なんてやっちまうんだろ」
「理由は様々です。辛いことがあって、それを忘れたいだとか、楽になれる薬だよ、なんて言われて渡されたりだとか、食べ物の中に少量混ぜられたりだとか」
「騙されるパターンもあるのか。ひでえな」
「ですね。ああいう人たちを減らすために、国が厳罰化を進めてるんです。麻薬を作る者、売る者、人から人へ流す者。どこかの段階で食い止めなければいけないんです」
「…………」
リカルドは黙って、夜の帳が降りてゆく様を見つめた。
DAY4
「物資の補充をするために『家』に行きたいんですけど」
リカルドの隠れ家で、朝食のパンを食べ終わった少女が口を開いた。
「行けば?」
「あなたから目を離すわけにはいきません。なので私に付いてきてください」
「物資って何だよ」
「医療キット諸々です」
リカルドの脳裏に、昨日の出来事が蘇る。
「……分かったよ」
「良かったです。分かってもらえなかった場合、手荒な手段を取らざるを得ませんでした」
「そうだったな。どうせ俺はお前に従うしかないんだもんな」
「早速行きましょう。私も残り少ないあなたの時間を奪いたくありません」
「残り少ない俺の時間、か」
少女に付いていきながらリカルドは、残りの時間をどう過ごすか考えた。これまでは何も浮かばなかったのに、おぼろげながら、したいこと、すべきことが見えてきた。
『家』でマントの中に物資を詰め込んだ少女と共に玄関を出ると、ワイバーンが門の前に降り立った。ワイバーンの背中には、郵便物を届けに来た配達員が乗っている。
四肢に加えて翼のあるドラゴンに対し、ワイバーンは腕が変化して翼になっている。サイズがドラゴンと比べてかなり小さいため、人間を一人くらいしか乗せられない。その分、ドラゴンより御しやすいため、配達員の足、もとい翼として重宝されている。
ただ、ワイバーンは長い距離を飛行できない上に、積載量が少ない。そのため、郵便局から遠い地域や、荷物の量や重さによっては人間が直接届けに行くことになる。
そうなると長い日数がかかってしまう。荷物を早く届けたい人は、ドラゴンを用いて運搬する飛空便を利用する。
飛空便は、大量の荷物を長距離移動させることができる上、人間も数人搭乗可能。国の認可した施設でのみドラゴンの飼育、管理が許されているため、数が少ない。そのため飛空便は利用できる場所が少なく、料金はかなり高い。
「リカルド・シルヴァさんですか?」
「あ、ああ。俺がそうだ」
「あなた宛てのお手紙です」
配達員は小綺麗な封筒をリカルドへ渡すと、一礼してワイバーンに乗り、空へ飛び立った。
「この手紙、ここに届いたってことは、お前のじゃないのか?」
「いえ。組織からは通常の手段で手紙は届かないはずです。差出人を確認してみてください」
「……母親からだ」
「きっと仕送りに関する手紙でしょう。開けてみては?」
リカルドは無造作に封筒を破り、中の便箋を取り出し、胡乱気な目で読み始めた。目線が下がっていくにつれ、瞳が見開かれていく。読み終わった後に大きく息を吐き、便箋を懐に入れてから歩き出した。
「昼飯買いに行くぞ」
「何て書いてあったんですか?」
「大したことじゃねぇよ」
「差し支えなければ、教えていただきたいです」
通りへ出た二人は、並んで歩を進める。
「再婚したってさ。金持ちと。もう貧乏じゃなくなったから帰って来いって。ラウラも心配してるからって」
「ラウラさん。以前言ってた妹さんですか?」
「そうだ。お節介のな。今度結婚するらしくて、仕送りは結婚式代として使わせてもらうから、顔だけでも出せって」
「結婚式、いつなんですか?」
「二ヶ月後」
少女は、フードを深く被り直した。
「んでお前が気まずそうにすんだよ。どうせ行かねぇよ。俺みたいなやつが行ったら迷惑かかるだろうが。お兄さんのご職業は? 麻薬運びです。はい、結婚式はめちゃくちゃだ。破談になること間違いなし」
「お昼ご飯、何にしましょう」
「決めてねぇ。足の向くまま気の向くまま、だ」
そう言ったそばから、リカルドはとある店のドアに手をかけた。
「甘い匂い」
「文句あっか?」
「ないですよ。お昼ご飯にスイーツ、大いに結構です」
その日一日、リカルドは心ここにあらずといった様子で、宙を眺めて過ごす時間がほとんどだった。夜、寝床で仰向けになりながら脚を組み、両手を頭の後ろに回して天井を見ていると、目の前に急に本が現れた。少女が差し出してきたものだ。
「なんだこれ」
「詩集です。たそがれているご様子だったので、役に立つかと」
「本なんて読まねえよ」
「残念です。私の愛読書でオススメなんですが」
少女は分かりやすく肩を落とし、部屋の隅へ戻ると、立ちながら片手でそれを読み始めた。
リカルドは、少女の目が文字列を追っているのを確認してから、ナイフを握った。油断している今なら殺れるかもしれない。
「無駄ですよ」
少女は本から顔を上げず言い放った。
「はぁ。読書に集中しててもダメか。お前相当腕が立つ殺し屋だろ。何人殺してきた?」
「数えるのが面倒くさいです」
「数えきれないほど殺してきたのか」
「数えられますよ。自分が殺した人間は、全員覚えています。共に過ごした一週間は、忘れません」
「へぇ。俺との一週間もか?」
「はい。もちろん」
リカルドは、あっそ、と小さく呟いてから寝返りを打ち、壁際を向く。
午前〇時を過ぎたところで、少女は電気を落とした。
「明日は何をする予定ですか?」
「お前の『家』でやりたいことがある。あー、手伝ってもらってもいいか?」
「喜んで」
その夜、少女が来てからずっと不眠症気味だったのに、なぜかぐっすり眠ることができた。
DAY5
「すごい量ですね」
薄力粉。バター。卵。砂糖。キッチンにはそれらが大量に鎮座していた。
「できるだけたくさん作りたい。休む暇ねぇぞ」
少女が作ったコック帽を頭にのせ、腕まくりをする。
「了解。体力には自信あります」
「だろうな。俺よかよっぽどありそうだ。でも作るのは」
「あくまであなた、ですよね。私は手伝いだけです。わきまえてますのでご安心を」
「お、おう。分かってるならいいんだ」
「これが全部クッキーになるんですね。何枚分なんでしょう」
「一〇〇枚超えるかもな」
調理は昼休憩を挟んで夕方まで続いた。
「一〇〇枚どころじゃありませんでしたね」
「どれくらいの量でどれだけ作れるかとか、分からんかったからな」
「あと十何枚か作れそうですが、どうします」
「わざと残しておいたんだ。これ使ってチョコクッキー作ろうかと思って」
リカルドが取り出したのは、チョコレート専門店で買った高級チョコレートだった。
「なるほど。チョコレートの加工はひと手間ありますが、大丈夫ですか?」
「教えてくれ。頼む」
「了解」
少女は指示を飛ばしつつ、時に手も添えて、チョコレートクッキー作りを手伝った。
真剣に調理するリカルドの横顔を、眩しそうに見つめながら。
リカルドは大量のプレーンクッキーを、全て大きな袋に入れて肩に担ぎ、チョコレートクッキーは小さな袋二つにそれぞれ数枚ずつ入れた。片方はラッピングされた袋。片方は簡素な袋。
簡素な方はポケットに入れ、ラッピングされた方は少女に突き出した。
「これ、私に?」
「ち、違うわ。これから郵便局に行く。割らないように持っててくれ。お前なら何があっても割らないだろ?」
「勘違いさせるなんて、罪な人ですね」
「お前が勝手に勘違いしただけだろ。じゃ、行くぞ」
サンタクロースのように大袋を担いだリカルドと、指先でラッピングされた袋を弄んでいる少女は、並んで郵便局へと向かった。
「承りました」
リカルドはラッピングされた袋を、無造作に郵便局員に突き出した。
「頼んだ、じゃなくて、よ、よろしくお願いします」
「無料でメッセージカードをお付けすることができますが、いかがでしょうか」
「いらないで――」
「お願いします」
「お、おい」
横から少女がメッセージカードを受け取り、リカルドの腕を引っ張って記帳台へ。
「書くべきです」
「ってもよぉ。俺、気の利いたことなんて」
「いいんです。何でも。一文でも。一単語でも。あるだけで全然違いますから」
リカルドの腕を掴む少女の手に力がこもる。鋭い眼光からは、殺気に似た何かが放たれていた。少女の圧に屈したリカルドは、ペンを握り、迷いながらゆっくりと、時々止まりながら文字を紡いでいく。
「『俺は今、菓子職人になるために修業してる。だからそっちには戻らない。一人前になるまで連絡しちゃいけない決まりだったけど、今回だけ許してもらえた。結婚おめでとう』ですか。優しい嘘が吐ける方だったんですね」
「んだよ文句あっか」
お前のおかげで、こんなこと書けるようになったんだよ、なんて言えるはずがない。
「いいえ。とても良い文章だと思いますよ」
「やっぱり捨てようかな」
「ダメです」
少女はメッセージカードをかすめとり、跳ねるような足取りで受付に提出した。
「勝手なことすんなって」
「私の組織の住所使ってるんですから、これくらい目をつぶってほしいものです」
「それ言われちまうとなぁ」
「きっと喜びますよ、妹さん」
「どうだかな」
「大丈夫ですよ。あなたのクッキーは美味しいですから」
「そうかよ」
リカルドは先ほどから、少女から顔を背けっぱなしだった。
「それで、その大きな袋の方はどうされるんですか?」
「いいから黙って付いてこいって」
見渡す限りの草原。草を踏む音が小気味よく響く。
「なぁ、あのテントの場所、どのあたりか覚えてるか?」
「はい。こちらです」
淀みなく脚を動かす少女に、大袋を担ぎ直して付いて行く。
ほどなくして、テントが見えてきた。
ちょうどリーダーの女性が、老婆をテントに運ぼうとしているところだった。
老婆は女性よりも大柄なせいでフラついていて、今にも倒れそうだ。
「これ、ちょっと持っててくれ」
少女が走り出そうとした直前、リカルドは大袋を少女に渡し、急いで飛び出した。
「あなたは、この前の」
「運ぶの手伝わせてくれ」
「あ、ありがとうございます」
戸惑う女性と共に、テントの中の簡易ベッドの一つに老婆を横たえた。
「食料、足りてねぇんだよな」
「残念ながら、慢性的に」
「ちょっと待ってろ」
振り向いたら、そこには既に少女が、大袋の口の部分を広げて待ち構えていた。
「よければこれ、ここの人たちで食ってくれ。危ないもんじゃない。クッキーだ。毒とかも入ってない。何なら俺が今ここで毒見してやる」
リカルドは袋からクッキーを一枚取り出し、口に放り込んだ。
それを女性が確認したのを見てから、少女は大袋を手渡した。
「わ! こんなにたくさん⁉ ありがとうございます! 助かります! なぜこんなに親切にしてくださるのですか?」
「そこにいるちっこいやつと同じだ」
「人助けが趣味、ですか?」
女性は僅かに笑いながらそう言った。
「と、ともかくそういうことだから!」
「あの!」
テントを出て行こうとするリカルドを呼び止めながら、女性はクッキーをかじった。
「こんなに美味しいクッキーなら、皆きっと喜びます。改めて、ありがとうございます」
深々と腰を折った女性を見もせずに、片手を上げて、早足で帰り道へ消えていった。
リカルドは森を抜けたところではじめて立ち止まり、大きく息を吐く。
「贖罪のつもりですか?」
少女が落ち着いた声音でそう尋ねた。
「しょくざい? なんだその言葉。知らねぇけど、こうしなきゃいけねぇって思っただけだ。その、多分、こういうことしたくなったのは、お前のおかげだ」
「少しは楽になりました?」
「なんでか分からないけど、何か、モヤモヤがちょっとなくなった」
「それは良かったです」
あまりに柔らかな声に、思わず背けていた顔を戻して少女の顔を覗き込んだ。いつも通りの無表情だった。
「…………」
「何でしょう」
「別に」
何を期待してるんだ俺は。どうしちまったんだ。こいつを殺したいって、思ってたのに。
DAY6
「今日は何をするんですか?」
昼下がり。表通りを二人はぷらぷらと歩く。心なしか、少女の尻尾のような紐が、普段より楽しげに揺れていた。
「明日、俺は殺されるんだよな? 明日の何時に殺されるんだ?」
「深夜二三時五九分に」
「なら今日じゃなくて明日が最後の日だな」
「そうなりますね」
「何すっかなぁ。真っ昼間っから酒飲むのも悪かねぇなぁ」
「一杯奢りますよ」
「なんでお前に奢られなきゃいけねぇんだよ」
大衆食堂へ足を向けた瞬間、少女はいきなりリカルドへすり寄り、腕を組んだ。
「っ⁉ お、おい、何のつもりだ?」
「尾けられてます。数は二」
少女の声音が冷たく鋭いものに変わった。
「お前、恨み買ってそうだもんな」
「いえ。聴力拡張魔法で聞き取ったところ、ターゲットはあなたです」
「は? なんで俺が」
「『運び屋』『あいつのせいで』『シメる』等々聞こえてきますね」
リカルドは麻薬を持ち逃げした時のことを思い出した。
「同業者か、元仲間か」
「どうします?」
「とりあえず話だけしてみるわ。ヤバくなったら魔法で逃げる」
「了解」
尾行してくる二人からのコンタクトを待ちながら、それとなく裏路地へ入っていく。
「おい。てめぇ、リカルドだろぉ」
二人組のうち、大柄な男が後ろから話しかけた。
「おう。久しぶりだなお前ら」
リカルドは余裕そうにゆったり振り返る。
「昼間っから女連れて楽しそうだなぁ」
大柄な男は額に青筋を浮かべながら、ニタニタと汚く笑った。
「そういうお前らこそ、どうしてこんな辺境にいるんだ?」
「どっかのクソ野郎が仕事ミスったせいで、同じチームだったオレらが、連帯責任で辞めさせられたからだよぉ。そこらじゅうから目ぇ付けられてっから、こんなとこまで仕事探しに来るハメになったんだぜぇ」
「そいつぁお気の毒に。でも良かったな。仕事辞められて。麻薬運びなんてやらない方がいい。続けてたら後悔することになっただろうからな」
「ああん? アホじゃねぇのお前。ただちょこっと隠れながら運ぶだけで、たんまり報酬がでるんだぞぉ? お前も一緒に旨い汁すすってきただろうがぁ」
「そうだったな」
血走った眼で息を荒らげながら話す大柄な男とは対照的に、リカルドは冷めきっていた。
「辞めさせられたっつってもよぉ。オレらのボスは優しいからぁ、クソ野郎を捕まえたら戻ってきてもいいって言ってくれたんだぜぇ。しかもぉ、そのクソ野郎が息さえしてりゃあどんな状態でもかまわないってさぁ。最悪殺しちまってもいいって――」
「《隠影》」
「《蝙蝠耳》」
リカルドが祝詞を唱えた直後、大柄な男の後ろに控えていた小柄な男も祝詞を唱える。
小柄な男が魔法を発動させた直後、大柄な男は地面を蹴り、何もないはずの空間を掴んだ。
「残念でしたぁ。お前のやり口は知ってっからよぉ。こういう時のために耳を良くする魔法、覚えさせたんだぁ。お前のソレさぁ、音までは消せねぇだろぉ? 地面を踏む音とかでぇ、どこにいるか分かっちゃうんだよねぇ。《縛縄》」
魔法でできた縄が、姿の見えないリカルドに巻き付いた。
そこ目がけて大柄な男の拳が放たれ、空中で止まり、鈍い音を響かせる。
「がぁっ!」
リカルドはたまらず声を上げた。血の味が口の中に広がっていく。
「痛いかクソ野郎。どんどんいくぞぉ。とりあえず歯ぁ全部折るからなぁ!」
二発目が飛び、これもまた空中で止まった。
鈍い音が鳴る。大柄な男の拳から。
ゴキン、グリュ、と、指が一本ずつ不自然な方向に曲がっていく。
「な、んだっ、これええええ!」
大柄な男が痛みに悶えている間に、リカルドを拘束していたドス黒い縄は消え、小柄な男は何の前触れもなくその場で気絶し、倒れ伏す。
「おいリカルドぅ! てめぇ! 許さねぇぞぉ! ぜってぇまた見つけ出すからなぁ!」
姿の見えないリカルドに向かって、大柄な男が吠えた。
その時既にリカルドは、少女に抱えられて隠れ家の方向へ移動していた。
「来るの、遅いって」
ペッと道端に口の中の血を吐き出す。
「すみません。軍警察を呼びに行っていたもので」
「お前、いつの間に」
「もうじき現場に到着するはずです。彼らから麻薬の匂いがしました。おそらく所持しているでしょう。運び屋だと伝えてありますが現行犯逮捕ではないですし、罪に問われるか微妙ですが、まあ厳しい取り締まりは受けるでしょうね」
少女は、リカルドをダミーダクトの中に引っ張り込むべく、襟首を掴もうとした。
リカルドはその手を振り払い、せき込みながら自力で隠れ家へ向かう。
「あいつ、また見つけ出すっつってたけど、俺、明日死ぬから一生見つからないんだよなぁ。ざまぁみろ。……あのさ、どうして助けてくれたんだ? あのままでも俺、多分死んでたぞ」
寝床に倒れ込んだリカルドに少女は近づき、マントの中から医療キットを取り出した。
「言ったでしょう。一週間後に殺すと。それまでは何があっても死なせません。それに、あなたを殺すのは私の任務です。この私が任務失敗などあり得ません」
「いってぇ!」
「我慢してください。頬の表側と裏側、両方怪我してるので、あまりしゃべらないように」
傷口に塗り込まれた薬を拭おうとする手を掴んで捻り上げ、患部に布を当てて縛る。
リカルドは、明日死ぬから手当てなんて必要ないと言いたかったが、真っ直ぐな眼差しで黙々と手当てをする少女を前に、口を開くことができなかった。
リカルドは夜眠るまで、そのまま隠れ家の寝床で過ごした。
これまでの自分。ここ一週間の出来事。
考えた。夜、意識が落ちるまで、考え続けた。
DAY7
「今日は何をするんですか?」
早朝。リカルドは頬の布を取り換えながら、もはや恒例となった問いかけを受ける。
「飯食って、本を読む」
「あなたが本を?」
「生まれてこのかた一度も読んだことなかったから、一日がかりになるかもしれねぇ」
傷口は一応くっ付いたため、まだ痛むが、ある程度しゃべることはできた。
「何を読むんですか?」
「お前の詩集、貸してくれねぇか」
「はい。喜んで」
少女は珍しく慌てた様子で詩集を取り出し、これまた珍しくやや弾んだ声音でそう言った。
リカルドは、黄ばんでところどころ折れたり破れたりしている詩集を受け取る。
「買い替えりゃあいいのに」
「いいんです。この汚れは何回も読んだ証ですから。それに、私たちは任務に必要な分以外、ほとんどお金が与えられません。モノは大事に、長く使い続けなきゃいけないんです」
「がっぽりもらってるもんだと思ってた。金もロクにもらえないのになんでこの仕事してんだよ」
「生まれた時から組織にいたからです。これ以外の生き方を知りません」
「ふうん。休みの日は何してんの?」
「休みはほとんど与えられません。身体を休める時間くらいしか。そのため就寝時間を削って好きなことをします。詩集を読んだり、お菓子を食べたり」
「そか。あのさ、俺の金、あと少しだけ残ってっから、お前にやるよ」
「私は、ターゲットからお金を受け取らないのがポリシーなんです。奪うこともしません」
「お前、ほんっとにポリシーが多いのな」
「今日はやけに私に質問しますね。どういう風の吹き回しですか?」
「んあ? ああ、まあ、そういう気分なんだ」
リカルドはここ数日で、自分の気持ちが変わりつつあることに気付いた。でも、どう変わったか具体的には分からなかった。
「なんでも訊いてくださいね。可能な限り答えます」
「いんや。もういいわ。朝飯食おうぜ」
「分かりました。ほっぺたまだ痛いですよね。今日の食事は私が作ります。なるべく痛まない料理にしますね」
「お前、料理なんてできたんだ」
「一通りのことはできますよ。任せてください」
少女は隠れ家の中の簡易キッチンに立ち、手慣れた様子で調理器具を操り始めた。
リカルドは寝転がったまま詩集をめくる。目が滑るため何度も戻りながら読んでいく。
朝食を食べ、また読み、休憩しながら物思いに耽り、昼食を食べ、また読み、休憩しながら物思いに耽り――。
「いいんですか。最後の一日なのに、こんな使い方をして」
午前〇時。その、数分前。
寝床で仰向けになっているリカルドの枕元に、少女は膝をついて目線を合わせている。
「考えてたんだ。これまでのこと。やっと答えらしいものが出せた。良い一日だったわ」
「これから死ぬのに、よくそんなすっきりした顔で話せますね」
「やせ我慢だバカ。死にたくねぇよ。こええよ。今だって逃げ出したい。けどお前の目をかいくぐることなんてできない。諦めるしかねぇだろ。だから死ぬことについて考えないために他のこと考えてたんだ。なぁ、俺ってどうやって死ぬんだ?」
「私、ターゲットの一週間の過ごし方で殺し方を変えるんですよ。あなたは私の魔法で死にます。痛みなく一瞬のうちに命を奪う魔法で」
「それってさ、もしかして一番、楽な死に方なんじゃないか?」
「そうですよ」
「そいつぁありがてぇわ」
少女は臀部から垂れ下がっている、尻尾のような黒い紐を片手で引っこ抜く。
するとその紐は瞬時に硬質化し、棒状の柄になった。少女はその柄を天に捧げるように持つ。
「〇時ぴったりに魔法が発動します。心の準備をしておいてください」
「心の準備はもうできてるよ。あのさ、俺、お前に言っておきたいことがあって」
本当は死ぬことが怖くてたまらなかったが、やせ我慢してその気持ちを隠す。
「聞きます」
少女は一言も聞き漏らすまいと、魔力を練りながら耳をそばだてる。
「最後まで迷ったけど、やっぱりこれ、お前にやる」
リカルドは、ポケットから小袋を取り出した。
「これは、あの時のチョコクッキー?」
「お前、チョコパン、食ってたろ。チョコ、好きなのかと思って」
少女は片手を柄に添えたまま、もう片方の手で小袋を受け取り、器用に開いて一枚かじる。
「お世辞抜きで今まで食べたクッキーの中で一番美味しいですよ」
少女は唇の端についた粉を綺麗に舌で舐めとりながら、小袋をマントの中にしまった。
「そっか。お礼、できて良かったわ」
リカルドは天井を眺めながら、ほっと息を吐く。
「なぜ私にお礼なんて」
「お前、名前、何て言うんだ」
「コードネーム33。親しい者からはミミと呼ばれています」
「俺さ、ミミに感謝してんだ。気付かせてくれた。色々と。菓子職人になりたかったっつう、小さい頃の夢を思い出させてくれた。家族の今を知れて、妹のやつに見栄を張ることもできた。それに、あの、テントでのことだ。俺、自分が悪いことしてたって自覚なかったんだ。ミミ、わざとあのテントに連れてったんだろ」
「バレてましたか。実は周辺調査で、あのテントの存在、知ってました」
「だよな。都合良いなと思った。あそこに行ったおかげで、俺、悪いことしてたんだって自覚できたんだ。自覚できたから何だっつう話なんだけど、しないよりはする方がいいって、何となく感じたんだ。自覚したら苦しくなったけど、その苦しさを紛らわせるためにクッキー持って行ったら少し楽になれた。ミミが、必要になるからって金を残しておいてくれたおかげで、色々できた。もっと早く、家飛び出す前とかにミミに会えてたら、俺の人生マシになってたんじゃないかって、思うんだ」
「それはあり得ませんよ。私、プライベートでは人と接触しませんから。私に会えるのは同じ組織の人間か、ターゲットだけです」
「そう、だな。ミミは殺し屋だった。殺されるようなことしなきゃ会えないんだった」
リカルドは小さく笑って、腹の上に置いておいた詩集を握り締めた。
「詩集、ほとんど理解できなかった。けど、人間になった猫の話は良かったな。見た目は猫のまんまだけど、思いやりとか罪の意識とか知ることで、人間って認められた。俺みたいだって感じた。ミミがこの一週間で俺を人間にしてくれたんだ」
リカルドは口元に笑みを作る。そろそろ〇時だ。
「人助けが趣味って本当だったんだな。ミミは、俺を助けてくれた。ありがとよ」
死への恐怖でぶるぶる身体を震わせながらも、リカルドは言い切った。
「どういたしまして」
リカルドははじめて、ミミの笑顔を目にした。その笑顔を焼きつけてから、目を閉じた。
震えは止まっていた。
ミミは魔法を発動させる。並の魔法なら瞬時に発動させることのできるミミが、発動までに数分を要するほど難しいその魔法。祝詞を唱えずとも魔法を使えるミミは、祈るように瞼を閉じながら、あえてその祝詞を口にする。
「《汝の旅路に幸あらんことを》」
柄の先から不可視の刃が出現。鎌が完成する。
ミミは鎌をリカルドの首目がけて振るった。実体を持たない刃が首を通り過ぎる。すると、リカルドの意識は、眠りに落ちていくかのように消えた。
亡骸の頭にコック帽を被せ、ミミは残りのチョコクッキーを一枚一枚味わって食べる。
小袋の底に残っていた小さな欠片まで口に流し込んだ後、この一週間そうしていたように、照明のスイッチに手をかけた。
「おやすみなさい、リカルドさん」
試し読みはここまでになります。
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