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Only Tokyo Lovers Left Alive

重い鉄の扉を押し開けると、爆音で流れる音楽と賑やかな喧騒が耳をつんざいた。
暗闇の中、ズンズンと鳴る低音が全身に響いて、心臓が早鐘を打つ。

コンクリートジャングルの片隅の、ひとりでは絶対に辿り着けないような入り組んだ場所で、そのクラブは隠れ家みたいにひっそりと存在していた。
「ディスコとかソウル好きなら絶対楽しめるよ」と彼に誘われて、界隈では有名なDJが回すというイベントに足を運んだ。

バーカウンターに並んで、それぞれドリンクを選ぶ。
彼はハイネケンと、テキーラ2杯を注文した。
満面の笑みでショットグラスを差し出される。

「来てくれてありがと。これ俺の奢りだから」

いきなりショットかよ、と笑いながら乾杯する。
小さなグラスを口につけ、グイッと勢いよく傾ける。

アルコールが喉に流れ、じゅわっと熱を帯びた。
食道から強い香りが立ち上ってきて、思わず身震いする。
グラスに残ったレモンをかじる。酸味が心地いい。

メインフロアでは、妖艶な紫の光がミラーボールに反射していた。
熱に浮かされて、身体がふわふわと軽い。
彼に腕を引かれ、ひしめき合う人の波をかい潜りながら、前方の巨大なスピーカーのそばへ移動する。

いい具合に酔いがまわってきて、羞恥心は途中からどこかへ吹っ飛んだ。
ただ音楽に身を委ねる。本能のまま身体を揺らす。

Finally!
You've come along
The way I feel about you
It just can't be wrong

CeCe Penistonの”Finally”が流れ出す。彼の大好きな曲だ。
歌詞に合わせてお互いを指差し合って笑う。

なにかが脳内でスパークして弾ける。
この上ない快感を全身で感じる。

ここで彼の肩に腕をまわしてキスしたら、きっとセックスよりも気持ちいい。
ふいに訪れたそんな衝動を、わずかに残った理性で抑えて、ひたすら踊り続けた。



あくびを堪えながら外に出ると、空はすっかり白んでいた。
眠らないこの街では、早朝でも変わらず人が行き交っている。

ふたりして自販機でポカリを買う。
ペットボトルの蓋を開けながら、なにか食べて帰ろう、と彼が言う。

一晩中酒を飲みながら踊ったせいで、すっかり胃が疲弊していた。ポカリをごくごく飲んだら、心なしかすこし調子がよくなった気がする。
油っこいのはやだな、とつぶやくと、じゃああれは?と彼が道路を挟んだはす向かいに見える店を指さした。

看板にメルヘンな字体の横文字が踊る、チェーンのドーナツ店だった。
思いっきり揚げものじゃんか。
そう心の中で突っ込みながら、久しく口にしていなかった味がなんだか懐かしくなる。
「いいよ、コーヒー飲みたいし」と同意して、ポカリを鞄にしまった。

開店直後の店内はガラガラで、貸切状態だった。
海老グラタンのパイと抹茶のドーナツを選んでトレイに乗せる。
レジでブレンドコーヒーも注文して受け取り、席に着く。

彼の手元のトレイを見ると、トーストとオレンジジュースが鎮座していた。
いや、ドーナツじゃないのかよ。

「このクロックムッシュうまいんだよ」

彼はそう言って、幸せそうにトーストを頬張る。
わたしもそれにすればよかった、と恨めしく思う。大量のアルコールを消費してただでさえ内臓が悲鳴を上げているのに、パイとドーナツじゃ完全に胸焼けしてしまう。

「朝まで残ってくれてありがとね」
「こちらこそ。めっちゃ楽しかった」
「いやー、よかったわ。また好きそうなパーティーあったら誘うよ」

すっかり酔いが醒めて、余韻と気怠さが残る。
踊り疲れて寝不足で、ゾンビみたいなわたしたち。

「瀬戸さん、来れなくて残念だったね」
「ね、”Relight My Fire”かかったのに。あの人あれ超好きじゃん」

パイを口に押しこんで、コーヒーを啜る。酸味が強くて、胃に染みる。

「まぁ、俺はふたりで来れてよかったけどね」

その言葉を耳にした瞬間、思わずコーヒーを吹きそうになった。
マグカップに口をつけたまま彼の顔を盗み見ると、涼しい表情でオレンジジュースを飲みながらスマホをいじっている。

いきなりなにを言い出すんだ。
動揺しながらドーナツをひとくちかじる。想像していたより、甘い。

いつもの冗談だろうか。どんな反応をするのが正解なのかわからない。
鼓動が早くなり、胸が詰まりそうになる。

沈黙を貫いていたら、彼の背後にある窓ガラスから陽の光が差し込んだ。
灰色だった街が、明るく照らされていくのが見える。
今のわたしには、すこし眩しい。

うち、寄ってく?

そんな言葉が頭に浮かんだ。
口に出すべきか迷いながら、もそもそとドーナツを咀嚼して、コーヒーと一緒に飲み込む。甘さを苦さで中和する。

彼がスマホを置いて顔を上げた。
目が合った瞬間、動けなくなってしまう。
向こうが先に口を開く。
軽快なメロディと共に店のドアが開き、誰かが入ってくる気配がする。奥から「いらっしゃいませ」と元気な挨拶が飛んでくる。
新しい朝を迎えた大都市で、今この瞬間、わたしだけが彼の声を聞いている。





#文脈メシ妄想選手権 にて、「夜明けのドーナツ賞」を受賞しました。
ありがとうございます!

審査員の池松さんより「夜明けのドーナツの恋」という新たなお題を頂戴し、このnoteを書かせていただきました。
あ、前半は実話ですが後半は妄想です。池松さん、くれぐれも歯は大切にしてくださいね。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます! ♡のリアクションはオールタイムベスト映画のご紹介です🎬