頑張るの辞めてみた
3年前にソフトボール公認コーチ1の資格を取得した。指導者ってもんになってみたかった。
ヒトラーとか、スターリンとか…
いや、独裁者じゃなくてw
実は数年前までは会社で、もう一つ上のポジションまで目指してた。
『組長』って職位だが勿論…極道とは無関係だ。
課に課長がいて、その下の係に工長がいて、その下の組に組長がいて、その下にチームがあって、私はチームリーダーって職位で、その下は一般層である。
なんやかんやで目指すのやめた経緯は過去の記事をご参照ください。
組長になれば『組』という城こそ小さいが、それでも城主だ。
チームリーダーに城はない。
行けと言われた場所、やれと言われた時間に陣頭指揮を執るのがチームリーダーだが…もう、飽きたw
50歳までに階層教育が回って来んかったら、ソフトボールで指導者を目指そうってことに決めてた(社会的ステータスは比較にならんが)
そして、50歳になった…
上司はまだ『昇格の可能性は潰えてない』と言うが…
多分、私みたいな『上がり損ない』をモチベーションの下がった老害にしないように、根拠のない『可能性』って空手形をチラつかせてるんだろう。
舐められたもんだ…
やる気なくして不良中年化する心配されてるみたいなのは不本意だ。
組長を目指してた頃は自分でも頑張ってたと思う。まだ若かったんだろう…多少の体調不良はユンケルの高いやつ飲んどきゃどーにかなった。
休んだら駄目だと思ってやっていた。組長争いの先頭集団からは置いていかれては駄目だと思ってやっていた。
そう、私は頑張っていた…
だけど、その『頑張り』って何だったんだろう?
『頑張ってる(だろう)自分』に陶酔してただけなんじゃないだろうか?
会社から給料もらって職位相応の働きをするのは当然のことで
それを熱が出てもユンケル飲んで仕事に来てるってことで『頑張ってる』口実にしてただけな気もする。
ソフトボールコーチを志して気付かされたことがある。
高校で外部コーチを1年やり、2年目は部活指導員にしてもらった。
部活指導員には手当が付く。
休日に無給でやってもらっては申し訳ないって顧問先生の配慮もあったようです。
今年からは春日井市の地域クラブ指導員になって中学でコーチをやらせていただいてる。
地域クラブ指導員の手当が付くのは土曜の午前中の4時間。指導先の学校は社会体育で土曜午後、日曜も終日で練習することが多いが、こちらは勿論、手当は付かないボランティアである。
社会体育にまで豊田から春日井まで通いで指導しに行ってると、やはり顧問先生は気遣いしてくださるし、保護者の方々からも温かくお礼の言葉をいただく。
熱心さが伝わっているのであれば嬉しい限りである。
では、この経緯をもって、私はソフトボールコーチを『頑張っている』と言えるのか?
私は頑張っている…って、感覚は実のところあまりない(熱心にやってる自負はある)
私は指導者になりたくてコーチングの機会を求めてた。週末に土日ともガッツリと指導させてもらえる環境は私にとって最高に有難い環境である。お金が欲しくてやっているわけじゃない。むしろ身銭切ってでもやらして欲しいくらいなんだ。
何が言いたいかと言うと
夢中に熱心な時ほど『頑張ってる俺』みたいな感覚は無いってことだ。
ソフトボールのコーチングに関して言えば寧ろ、『まだまだ勉強しなきゃな』とさえ思う。
俺、頑張ってる感…そこが上限だと認識して上への歩みを止めてないか?
俺、こんなに頑張ってるぞ!…って、承認欲求の塊じゃねーか?
頑張りの評価って自分でなく、他人がしてくれるもの。
頑張りが評価されてる間はアウトプットが出せてないってことなんじゃないかな。
そんな訳で、
頑張るのやめました。
正確には『頑張ってる自分に酔う』のはやめることにします。
アウトプットが出せて、なりたい姿になってたら
多分、頑張ったんだろなって
死に際に振り返ることにしよ。