1930年代 口承から音源へ
米国の鉱夫の間で House Of Rising Sun をタイトルとする曲が歌われていた事実に関しては1905年時点の記録がある。The House Of Rising Sun もしくは Rising Sun Blues を曲名とする口承民俗歌の詳細が記録の時代に入るのは1930年代(1925年に印刷・発行の雑誌に歌詞の一部は既に掲載)。これ以前は口承民俗の時代、詳細な記録は残っていない。口承伝達者の報告では更に数世代前の南北戦争前後には既に記録時代と同様の詳細内容が備わっていた。
1933年 男性歌詞
最初期の音源のひとつは1933年9月6日、ニューヨークで録音の記録が残る、アシュリ&フォスタ版のライジング サン ブルーズ。シェラク音盤の商用音源(制作レーベルはヴォカリオン)。CTアシュリとGフォスタが演奏、アシュリがハモニカを吹き歌っている。
アシュリは1895年生まれのミュジシャンで、アパラチア地方南部で薬種業界の商業イベント等で演奏活動を始め、1920年代にはアパラチア地方に伝わっていた英国やアイルランド発祥のバラッドをレパートリに既にミュジシャンとして活動していた。ライジング サン ブルーズは母方の祖父から習った。
音楽は三拍子系の長調で緩やかながら軽快なテンポ、特徴的なリフをイントロとして演奏し、このリフが歌詞各連の冒頭で生起する物語の節目を知らせ、また、終結部ではコーダの役割も果たす。歌詞は男性歌詞 male lyrics で、全5連。繰り返し無し。
アシュリはハウス オブ ライジング サンを数年後に録音することになるRエイカフに伝え、1960年代のフォーク再生時代にはDワトソン等のミュジシャンを育成した。
(CTアシュリ1933年版の男性歌詞)
1937年 女性歌詞
最初期に属するもうひとつの音源は1937年9月15日、ケンタッキー州東部のミドルズボロでGターナが歌唱、Aロウマクスが録音・採集したライジング サン ブルーズ。ターナはCTアシュリより一世代若い1921年の生まれ、音源採集地域で働く鉱夫の娘で当時16歳。アカペラソロの音源は三拍子系長調。歌詞は女性歌詞 female lyrics で、全5連。繰り返し無し。
数か月後の1937年10月9日、ロウマクスは同じケンタッキー州のホース クリークでBマーチン歌唱の音源(男性歌詞)、また、同10月13日には同州ビリーズ ブランチでDヘンスン歌唱の音源を録音・採集、ターナの歌詞の数行を補完した後、他の採集曲と共に1941年に出版し、ヒット曲となった朝日のあたる家 The House Of Rising Sun、また、米国フォーク再生運動の基礎資料とした。
(Gターナ/Bマーチン1937年版の女性歌詞)
ロウマクスは1915年生まれの民俗音楽学者。当時急速に開発が進んだ録音技術を駆使、米国・英国の口承民俗音楽を録音・採集して民俗音楽の記録集成を構築すると共に民俗音楽の普及活動にも従事した。その活動・業績を基に1940年代から1960年代前半に、米国・英国でフォーク再生運動が生まれ、Wガスリ、PシーガからJバイズ、Bディランに到る米国フォーク音楽が誕生した。
米国の口承民俗歌謡 ライジング サン ブルーズ、音源記録時代に入った1930年代には既に、短めの男性歌詞 male lyrics、長めの女性歌詞 female lyrics の2タイプの歌詞で伝わっていた。