日本語詩 ステュワト歌唱曲集
ロッド ステュワトの歌唱音源を基に浅川マキは5曲の日本語詩を制作した。ジェフ ベック グループの解散で中断するソロ前段階の音楽活動の後、ステュワトは1969年にソロ歌手として音楽活動を再開、また、ロン ウッドと共にスモール フェイセズに加入、フェイセズに改名してグループ活動も再開する。
このソロ時代初期にステュワトはフェイセズでの活動と並行してアンプラグド トラディショナル/ストレイト ロックの独自な音像造りの時代を創った。ソロで4枚、グループで4枚のLPアルバムほかを制作した後、フェイセズからロニ レインが脱退(1973年5月)、3年半でこの時代は終わる(フェイセズは山内テツが加入して1975年まで存続。ステュワトは1974年9月にアルバム スマイラー、1975年8月にアルバム アトランティク クロシングを発売、米国を拠点に世界を市場とする新段階に入る)。
因みに、山内テツは浅川のLP第11音盤 ワン(1980年4月発売)から演奏者やプロデューサーとして浅川マキのアルバム制作に参加した。
1972 オールド レインコート
1972 ガソリン アレイ
(1969 ロッド ステュワト 1970)
浅川制作の日本語詩 最初の2曲はステュワト ソロ初期の代表曲。ソロLP第1音盤は1969年11年発売(ロッド ステュワト アルバム 米国発売版)、ソロ第2音盤が1970年6月発売(ガソリン アレイ)。ステュワト24〜25歳の頃。この期間に先立つ約1年前に浅川マキは蠍座でソロ公演(1968年12月)、LP第1音盤(浅川マキの世界)発売がこの期間の3か月後(1970年9月)だから、公演からLP発売まで1年8か月あまり。この間にオールド レインコートとガソリン アレイは生まれた。浅川26〜28歳の頃。
ソロ初期のこの2曲を基に制作した日本語詩が音源になるのは1971年12月(紀伊國屋ホールのコンサート、LP第3音盤(浅川マキ ライブ)発売は越年後の1972年3月)。英語原詞は両曲ともステュワトが作詞(音楽はオールド レインコートがステュワト、ガソリン アレイがロン ウッド)。
1976 ジャスト アナザ ホンキ
1977 イフ アイム オン ザ レイト サイド
(1973 フェイセズ)
浅川制作の日本語詩 次の2曲はフェイセズ末期、LP第4音盤(ウーララ 1973年3月発売、最後のスタジオ録音)から2曲。両曲ともステュワト歌唱なのだが、選曲から見て、フェイセズの魂(ステュワトの表現)ロニ レインの音楽に焦点を当てるのが浅川の狙いだったと推測する。
三十代に入った浅川はLP第4音盤(ブルー スピリット ブルース 1972年12月発売)からブルーズ・ジャズの原曲を基に日本語詩制作を本格化する。続くLP第5音盤(裏窓 1973年11月発売)で日本語詩は更に深化。LP第6音盤(浅川マキ6 1974年12月発売)からはラングストン ヒューズの音楽化に取り組み始め、日本語詩は もう一段高度な段階に深化し始める。
ステュワト/フェイセズ(ウッド/レイン)の原曲に取り組むのは4年振り。フェイセズの事実上の解散(レインの脱退)から2年余りが過ぎていた。この2曲はレインのバンド フェイセズへの追悼だったかもしれない。日本語詩はLP第7音盤(灯ともし頃 1976年3月発売)、LP第8音盤(流れを渡る 1977年3月発売)に収録。英語原詞はイフ アイム オン ザ レイト サイド(おいらが遅刻したら LP第8音盤、LP第9音盤)がステュワト作詞。ジャスト アナザ ホンキはレイン作詞(LP第7音盤。音楽は両曲ともレイン)。
1976 それはスポットライトではない
(1975 ロッド ステュワト)
浅川制作の日本語詩 最後の曲はロッド ステュワトのソロ時代 第2期の開始を告げるソロLP第6音盤 アトランティク クロシング(1975年8月)収録(B面(スロー ハーフ)2曲目)のイット ナット ザ スポットライト。この音盤からは最終曲のセイリングが世界的にヒットしたが、歌詞内容からはセイリングが陽、イット ナット ザ スポットライトが陰にあたる。作詞者はゲリ ゴフィン。キャロル キングの最初の結婚相手で、ロコモーションやウィル ユー スティル ラヴ ミー トゥモウロほかブリル ビル サウンド時代に大ヒットを量産した作詞家。イット ナット ザ スポットライトは言うまでもなく離婚後の詩作。
ステュワトのLP第6音盤は1975年、作曲者のバリ ゴルドバグは1974年(アルバム バリ ゴルドバグ)、ボビ ブランドは1973年(ヒズ カリフォニア アルバム)、作詞者のゴフィンは1973年(アルバム イッツ エイント エグザトリ エンタテイメント)にLP音源を発売した(歌い方から見てステュワトのモデルはボビ ブランド)。
日本語詩はLP第7音盤(灯ともし頃 1976年3月発売)に収録の それはスポットライトではない(LP第9音盤にも)。英語原詞は ほんの半年前に発売されたばかりのステュワト版。原曲は1973年の作曲者 ゴフィン版。