歌の遷り変わり

朝日樓/朝日のあたる家/朝日樓

 ここ半年ほど最も濃く浅川マキを聴いた事はない。そこで判った事のひとつが浅川の音楽を何一つ解っていなかったという事実。
 五十年近く前の聴き始めが余りにリアルタイムだったから。それもある。
 後に三十年以上関わった仕事が音楽とは全く無縁だったから。それもある。
 浅川の音楽自身が音楽を超えて広がっていく性質ではなかったから。それもある。 
 取り敢えず長い無音の後に聴き直す事になった発端は、朝日樓/朝日のあたる家/朝日樓。

 1969年、高田渡の朝日樓は日本語の詩の新しい開発だった。
 1971年、浅川マキは僅か半年で朝日のあたる家から朝日樓へ。この朝日のあたる家/朝日樓の変革には痺れた。こんな大事件が起こっていた、半世紀も以前に。

1965年以降の日本語版

 いくつかの西暦年を歴史の流れを辿るブイとして浮かべてみた。


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