モーモールルギャバン、ゲイリー・ビッチェの行動~東日本大震災から10年~
震災
3.11
忘れられない。会社にいて昼ご飯も食べずに仕事してたらなんだかくらくらしていて、ああ、やばいと思ったら、会社ビルが揺れてた。当時は大阪府泉佐野市で勤務していた。
次に飛び込んできたのはテレビのニュース。いろんなものが濁流に流されていく。こんな光景初めてだった。
支援なんかが始まる。うちの会社も募金やってた。でも被害の規模がデカすぎて、悲壮感がすごかった。みんなが「なんかやらなきゃ、でも何もできない」というよくわからないしがらみに悩まされていた時期だったと思う。
そんな中、しばらくして一人の男が立ち上がった。ゲイリー・ビッチェ。バンド・モーモールルギャバンのドラムボーカルだ。
モーモールルギャバン
モーモールルギャバン。ドラム、ベース、キーボードの3人編成のバンド。
ゲイリー・ビッチェさんはパンツ一丁でドラムを叩きながら歌を歌う。ライブの終盤にはそのパンツを脱ごうとする(そして脱いだらそこにはもう一枚パンツがある)
その歌は、バカな男の儚さだったり、バカだったりバカだったりする(誉め言葉)
2011年3月時点の代表曲は「POP!烏龍ハイ」「ユキちゃん」「野口久津川で爆死」「パンティー泥棒の歌」「裸族」「君のスカートをめくりたい」など。
だんだん曲名がひどくなっているような感じがするが、正常運転だ。
ゲイリーさんの弾き語り
4月ごろ、ブログでゲイリーさんが呼びかけた。
「天王寺でフラッと弾き語りをする。よかったらついでに募金していってほしい」
いてもたってもいられず家を飛び出した。大体この辺というところで待っていたらやってきた。ギターを持ったゲイリーさんだ。
天王寺の駅前で始まった弾き語り(という名のシャウト)。一回警備員に止められて今はない近鉄百貨店への歩道橋の上でライブをすることに。
もうそのライブはすごかった。何度も何度もゲイリーさんが「パンティー!」と叫ぶ。聴衆もパンティー!と叫ぶ。天王寺の駅前でパンティって叫ぶ人はなかなかいないと思う。
(その曲 サイケな恋人)
あっという間に募金が集まった。募金はちゃんと後日ブログに明細がアップされていた。
その後も何度も募金弾き語りを続け、天王寺に次にやってきたのは7月だった。場所は同じ。「パンティー泥棒の歌」を歌っていたら、歩道橋の下を思いっきりパトカーが音を鳴らして通っていって、爆笑に包まれたのを思い出す。
(これが パンティー泥棒の歌)
そして最後は「パンティー!」と叫ぶ歌。「サイケな恋人」。この曲すごい。憂鬱が吹っ飛んだ。
「頑張ろう」って言ったって頑張れない時なんていくらでもある。でもそんなんじゃない、人を笑わせて元気にしてくれる。こんなすごい人がいるんだ。と思った。
「あー、笑った、よし、がんばろ」って思えたら、それで勝ちだろうな。夏の夕方、汗だくになりながらギターをかき鳴らし、叫び続けるゲイリーさんをみて、そう思った。
そして、募金をして帰った。
ゲイリーさんはその後も各地で募金を募り、寄付を行っていた。
あれから10年経つけど、いまだにそのことをよく思い出す。
辛い時、悲しい時、誰かを笑わせて、前を向かせられる人になりたい。今もそう思う。
また行きたいな、モーモールルギャバンのライブ。エネルギーをもらいに行きたい。